時の法令1658号, 63-67, 2002年1月30日発行
民主化の法理=医療の場合 83


ES細胞は、全能性か多能性か

星野一正


●はじめに

    文部科学省研究振興局ライフサイエンス課生命倫理・安全対策室作成の『ES細胞について』のなかの「多能性とは?」の項に、「ES細胞の場合は、そのまま子宮に移植されても人になることはありませんが、さまざまな種類の臓器・組織・細胞に分化する能力=多能性を持っている細胞であることが知られています」と明記されている。

    にもかかわらず、内閣総理大臣の諮問機関「総合科学技術会議」のホームページに公表されている会議録をみると、政府任命の委員のなかに「ES細胞は全能性である」という自説に固執されておられる方もいる。このような公式の場での齟齬は好ましいものではない。関係者が事前に意見の交換などの適切な準備をしてから、公の場での発言をすべきではないか。

    それにしても、ES細胞に関する政府機関の諸会議においても、マスコミの報道においても、ES細胞=全能性・万能性ということが、明確な学問的根拠を全く示すこともなく、安易に無頓着に使われすぎてはいないか、筆者は医学的に問題視している。

    筆者は、産婦人科医として医学博士の学位を取得し、その後、人体解剖学・発生学並びに発癌問題についての研究・教育に長年従事してきた。この分野では、米国解剖学会名誉会員、日本解剖学会名誉会員、米国内分泌学会名誉会員などの立場を得ている。それゆえ、ES細胞をめぐる問題には、学問的意見を述べる資格はあると信じている。

    そこで、本小論文では、「ES細胞は、絶対に全能性ではない」という説を支持する間接的証拠について論じたい。ご批判を乞う次第である。

●ES細胞のつくられ方

    「ES細胞は、全能性(totipotential)か多能性(pluripotential)か?」の問題について、日本では、真剣に問われてきていない。しかし、これは、医学的にも、生命倫理的にも重要な問題をはらんでいるのである。

    まず、発生学的な解説から始めたい。

    哺乳類動物及びヒトの一個の受精卵の細胞内において、桑実胚の時期になるまでは、核の全体量は不変である。はじめ核は二分して二分の一量の核が二個となり、更に二分して四分の一量の核が四個となり、このように半減を繰り返して、最後に六四分の一の核が六四個となった時に桑実胚と呼ばれるようになる。この時点での受精卵の核の全量は、受精直後の一個の核の量と変わらない。

    桑実胚になるまで、受精卵は、透明帯というしっかりとした膜性の袋で包まれており、外見上は、全く変化をしない状態を続けている。それゆえ、普通の本細胞の細胞分裂とは異なるので、受精卵の核の分裂を「卵割」といって区別している(本誌一六四六号六四ページの拙著論文の図を参照されたい)。

    桑実胚の時期を過ぎるころから、桑実胚を包んでいる透明帯は、徐々に柔らかくなり弾力性が増していく。薄く柔らかくなってきた透明帯を通して卵管内の体液が桑実胚の中に惨み込み始め、細胞の大きさは徐々に大きくなって、胚盤胞(blastocyst)となり、子宮内膜に着床する準備を始める。

    受精卵の内容は、卵割を終えた桑実胚の時期とは全く一変する。胚盤胞初期には、胚盤胞内には透明帯を通して侵入した母体の体液が充満して胚盤胞腔ができる。胚盤胞の細胞膜の内面全体に一層の「栄養膜(trophoblast)」ができてきて、胚盤胞の内面を裏打ちするようになる。

    こうして受精卵は変化して、胚盤胞の上方内部に特殊の細胞が集団となって出現し、「内部細胞塊(inner cell mass)」と呼ばれる。

    受精卵から「内部細胞塊」の細胞だけを特殊な方法で分離して、特殊の培養液の中で、ある特定の培養法で培養すると、「胚性幹細胞(embryonic stem cell)」と呼ばれるユニークな性質をもつ細胞が得られる。この細胞は、通常「ES細胞」と呼ばれている(図参照)。

    このように、一人の人間を構成する胚盤胞内の細胞は、「内部細胞塊」と「栄養膜」の二種類の細胞からなっている。

    ところで、身体を構成しているすべての細胞は、発生の初期に生じる「内胚葉」、「中胚葉」と「外胚葉」の、三胚葉から発生する細胞で構成されている。そして、「三胚葉の細胞はすべて、『内部細胞塊』から発生する」事実は、学問的に確立されている。「内部細胞塊」からは、三胚葉の細胞以外は発生しない。しかも、「内部細胞塊」からは、三胚葉の細胞が形成されるだけで、身体としての立体構造の構築には責任をもっていないことも明らかとなっている。

    では「身体の立体構造の構築の責任を果たすのは何か」と考えれば、「栄養膜」に、その責任を期待せざるを得ない。「栄養膜」からは、胎盤と臍帯が発生することは確認されている。しかし、それ以外に、栄養膜がどのような役割を果しているのかは、いまだに解明されていない。

●ES細胞の多能性の働き

    「個々のES細胞は、ある特定の条件下において培養が継続されていれば、ES細胞としての性質や増殖能力を備えたままで、その機能や性状を寸分変えることなく、無制限に数を増やす性質がある」。さらに、「目的ごとに開発された特殊な培養液や培養法により個々のES細胞を培養することによって、心筋細胞あるいは神経細胞などの多くの異なる細胞を発生させる性質がある」ので、「ES細胞は多能性(pluripotential)である」ということは確立されている。これは、エバンスとカウフマン(Evans & Kaufman, 1981)によるマウスにおける最初の発表以来二〇年余、種々の動物、類人猿、さらにヒト(トムソンら、Thomson, et al. Science 282: 1998)のES細胞でも確認され続けているので、疑う余地はない。

    正常なES細胞を他動物に移植すると奇形腫(teratoma)が発生し、この腫瘍は、三胚葉性腫瘍(内胚葉、中胚葉及び外胚葉性細胞からなる腫瘍)であることは、一九八三年以来確認されている事実である。

    この奇形腫は、三胚葉から発生する人体を構成するべき細胞で形成されながら、秩序正しい人体のような立体的配列がなされず、三胚葉性細胞からなる団子のような細胞の固まりにしかなれないのである。

    これは、ES細胞には立体構造構築機序能力が欠けていることを明示しているのである。

    これでは、ES細胞は多能性のみで、全能性があるとは絶対に言えないことは明らかである。

●ES細胞には全能性があるのか

    ES細胞の多能性に関する多数の証明論文の発表はある。それに反して、ES細胞研究の専門家による「ES細胞の全能性」に関する研究上の実験的証明の報告は、ES細胞の存在が発表されて以来の二〇年間に、皆無であると思われる。

    ES細胞に全能性があるならば、一つの受精卵から一人の人間ができるように、一つのES細胞からも一人の人間ができることになるはずである。しかし、その証明は存在しない。

    「ES細胞は、全能性である」という説が正しいならば、全能性のあるES細胞を、女性の子宮内に胚移植すれば、ヒトの新生児が生まれるはずである。もし、それが可能ならば、ヒトのクローニングの新しい方法といえよう。しかし、その証明も存在しない。

    しかし、「ES細胞が多能性であって、全能性ではない」ことが確認できれば、「ES細胞は腫瘍をつくってもヒトはつくれない」ことは明らかになる。同時に、「ES細胞は、ヒトの前駆体ではない」ことも明らかになる。

    「ES細胞は、全能性である」場合には、生命倫理的にはもちろん、社会的にも家族関係や法律の面でも、重大な問題が起こり得る。

    ES細胞に全能性があるのならば、生命倫理的に、ES細胞を実験的に使用することは、極めて慎重にするべきであって、二〇〇一年九月二五日に文部科学省から公布された「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」は、急速に改正させざるを得なくなる。

    なぜなら、受精卵と同様にES細胞がヒトになる力をもっているとすれば、ES細胞は受精卵とは異なり、数か月あるいは一年以上も生存させることができるので、長期間にわたり、多種多様な用途に用いた上で、さらにヒトとしてこの世に誕生させ得ることになることを踏まえて、指針を真剣に再検討する必要がある。

    その点、ヒトになる可能性が全くないが多能性であるES細胞を、ヒトの福祉向上のために活用することができる場合とは、全く議論の対象も内容も違うのである。

    筆者は、このように、生殖医学的並びに細胞生物学的な学問的な面と、生命倫理的な面から、「ES細胞の全能性」と「ES細胞の多能性」について真剣に検討しているので、頑固に「ES細胞の全能性」説反対にこだわり続けているのである。

●むすび

    現在までにES細胞の種々のユニークな機能が証明されているが、過去二〇年のES細胞に関する多くの研究発表の中で、ES細胞の三次元人体構造構築能力を証明する研究結果は皆無である。

    筆者は、次のような仮説を立てている。

    受精卵からの三次元人体構造構築の能力は、胎盤と臍帯が発生することが確認されている「栄養膜」に潜在しており、胚盤胞の末期に、子宮内膜表面への着床を機会に、何らかの指示により稼働され、三次元人体構造構築に向けて、次々と指令が出され、一度できた構造が改編したり、消滅させられたり、他の構造物に変化したり、多くの部分で同時に協調的に、あるいは反発的に、複雑極まる発生過程を経て、胚子そして胎児は、妊娠中に次第に「ヒトらしく」なっていくのではあるまいかと、夢想している。

    「ヒトらしく」なっていくべき胚子や胎児の中には、子宮内で早期に死亡して吸収消滅してしまう胚子や子宮内で死んでしまう胎児もあるし、無事に五体満足で出産してくれれば、有り難いと思わなければならないほど、多くの難所を乗り越えて、子宮内で葛藤しながら生き続け、育ち続けて、生まれてくることを考えれば、実に大切な赤ん坊の生命なのである。

    ES細胞が全能性であると信じて、いつの日か、ES細胞から、人為的に赤ん坊ができると夢見るのは、空恐ろしい気すらするものである。

    筆者は昔からお産が好きで、精神性無痛分娩法(現在のラマーズ法の原法)によって、産婦にできるだけ痛まずにお産をしてもらう努力をしたものである。また、生まれた赤ちゃんが大好きで、無事に育ってくれることを願い、寸暇を惜しんで新生児室に行っては、赤ちゃんの観察とケアをしていたことを思い出しながら、ES細胞が全能性でないことを、心から祈るばかりである。

    しかし、一日も早く、ES細胞が全能性か多能性か、学問的に的確に解明していただきたいと願うものである。既に細胞生物学的研究の現役を離れてしまって久しい筆者自身が、この研究に手を出すことができないのが残念でならない。