時の法令 第1640号、54-60, 平成13年4月40日
民主化の法理医療の場合

ヒト多能性胚性幹細胞研究に対する NIH 指針
星野一正

● まえがき

    米国国立衛生研究所(National Institutes of Health: NIH)では、「ヒト多能性幹細胞研究に対するNIH指針」の草案(一九九九年一二月)を作成して、公衆の意見を求めた。指針草案は、NIHが研究費を支給するこの領域の研究が倫理的並びに法的に実施されることを保証する手続を提案している。NIHは、最終的な指針がFederal Register(『(編年体)連邦行政命令集』)に公表され、かつ見落としを訂正した後でなければ、ヒト多能性幹細胞を用いた研究に研究費を支給しない。

    公衆からの文書による意見は、二〇〇〇年一月三〇日あるいはその前にNIHが受領していなければならない。米国連邦政府は、政府の資金を用いてヒトのクローニングの研究をすることを禁じているので、NIHからは、この分野の研究に対する研究費は支給されていない。しかし、「ヒト多能性幹細胞研究」に対しては、政府の資金を用いることを容認している。

    日本では、「ヒト多能性幹細胞研究」の中のヒト初期胚由来の「ヒト胚性幹細胞研究」が主流となっているが、米国では、それのみならず胎児組織由来の「ヒト多能性幹細胞研究」も行われており、「ヒト多能性幹細胞研究に対するNIH指針」においても、「ヒト胚性幹細胞研究」とは別個に、胎児組織由来の「ヒト多能性幹細胞研究」についても規制されている。

    日本では科学技術会議が「ヒト胚性幹細胞研究」にゴー・サインを出しているので、京都大学再生医科学研究所で、「ヒト胚性幹細胞研究」が開始されるに当たって、医学部医の倫理委員会とは別個に、「ヒト胚性幹細胞に関する倫理委員会」が設置された。

    そこで今回は、米国国立衛生研究所の「指針」の草案を翻訳して、報告することにした。

● 「ヒト多能性幹細胞研究に対するNIH指針」の草案(一九九九年一二月)

  1. 指針の領域

      この指針は、NIHが資金を出している研究あるいは支持している以下の研究を含む研究の申請書あるいは計画書に適用される:(一)Department of Health and Human Services(DHHS)からの研究費支給なしでヒト初期胚から得られたヒト多能性幹細胞(ヒト胚性幹細胞ともいう)を用いる研究:(二)胎児組織からのヒト多能性幹細胞由来若しくは利用。

      この指針でいうヒト多能性幹細胞は、ヒト初期胚あるいは胎児組織から得られた細胞であり、それらは分化することなく無期限に分裂することができ、かつ三つの主要な胚葉のすべてに分化する潜在能力をもっていなければならない。この指針の下で研究費が支給される研究には、胎児組織あるいは体外受精で得られかつ臨床的に余分となったヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞で、女性の子宮内に着床しておらず、最初の主要な胚葉が形成される段階に達していない細胞のみが含まれるべきである。

      DHHSは、歳出配分承認法(appropriations law)によって、「研究目的のためにヒト胚子を創造したり、あるいは、ヒト胚子を殺したり、廃棄したり、損傷して死亡させる危険があることを知りながら行う研究のために財源を使うこと」を禁じられている。NIHは、DHHSの法律顧問に、ヒト多能性幹細胞を用いる研究は、ヒト胚子及び胎児組織研究を管理する現存の法律に照らして許容されるか否かを照会した。慎重な検討の後に、DHHSは、ヒト多能性幹細胞は胚子ではなく、その研究のためにNIH資金を使用することを現在の法律は禁じていない、と結論した。さらに、ヒト多能性幹細胞がヒト胎児組織と考えられる限り、これらの研究は、胎児組織研究に関する連邦政府の必要条件の対象である。

      これらの指針は、NIH資金がヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞あるいは胎児組織からのヒト多能性幹細胞の利用の研究に使用される前に満足させるべき条件を述べている。この指針には、NIH資金を使用する資格のないヒト多能性幹細胞研究のある領域についても指摘してある。

  2. NIH資金に対して資格のあるヒト多能性幹細胞に関する研究への指針

    1. ヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞の使用

      1. ヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞の使用に対する考察

        ヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞を使用した研究は、ヒト多能性幹細胞が不妊症の治療目的で生じたヒト初期胚由来で、その治療を希望した個人の臨床的必要がない余分の場合にのみNIH資金を使って実施してよい。

        1. 臨床的必要を超えたヒト初期胚の提供が自発的であることが絶対に必要である。研究目的のためのヒト初期胚の提供に対して、金銭や他の誘引が与えられてはならない。

          不妊症診療所並びに/あるいは系列の検査機関では、そのような誘引 が行われることのないことを保証するべく特に記述された方針や手続が実施されていなければならない。

        2. 不妊症治療のために胚子を創造する決定と、臨床的に必要のないヒト初期胚を研究目的のために贈与する決定とは、はっきりと区別されていなければならない。

          不妊症治療のために胚子を創造する決定は、研究のためにヒト多能性幹細胞を誘導したり、あるいは活用したいと提案している研究者あるいは実験者から影響を受けたことがあるべきではない。起こりうる利害関係を避けるために、不妊治療の責任を持つ医師と、ヒト多能性幹細胞を入手しようと提案している実験者とが同一人物であってはならない。

        3. 研究のために提供されたヒト初期胚が、不妊治療を求めた患者が臨床的に必要とする数を超えたものであることを確実にするために、そして提供したいと思っている人に、不妊症治療のために胚子が創造された時と研究目的のために提供する決心をする時までの時間的ゆとりを与えるために、ヒト多能性幹細胞の誘導には、凍結ヒト初期胚のみが使われるべきである。その上、不妊症治療を受けようとする人は、治療に必要でない胚子を処分する決定をする際にのみ、ヒト初期胚をヒト多能性幹細胞誘導のために提供するかどうか相談されるべきである。

        4. NIH資金による研究に使用するためにヒト多能性幹細胞を入手する前に、ヒト初期胚に関するすべての同定資料が除去されていなければならない。

        5. ヒト初期胚の提供は、ヒト多能性幹細胞由来細胞の移植レシピェント(被提供者)になり得る個人に関して一切制限をしない。

      2. ヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞利用に関するインフォームド・コンセントの必要条件

        臨床的に必要以外のヒト初期胚を研究目的のために提供しようとする不妊治療を求めた個人から、インフォームド・コンセントは得られていなければならない。インフォームド・コンセントの過程では、胚子を研究目的のために提供するかどうかの決定をするのに適切な以下の情報について、提供候補者との意見の交換が含まれていなければならない。

        1. インフォームド・コンセントは、以下の声明等が含まれていなければならない。

          1. ヒト初期胚は、研究のためにヒト多能性幹細胞を作成するために使われるであろう、ヒト多能性幹細胞は、これらのNIH指針に従って作成され使用されるであろう、将来には、これらの細胞は、ヒトの臓器移植の研究のために使われるかもしれない。

          2. 胚子に関するすべての同定資料は、ヒト多能性幹細胞作成前に除去される。

          3. 提供者には、胚子についての以後の検査に関する情報あるいは作成されたヒト多能性幹細胞に関する情報は与えられない。

          4. 由来細胞及び/あるいは細胞系列(ライン)は、すべての同定資料を除去され、長く保存される。

          5. 提供されたものが商業的価値を持つ可能性についての声明、並びに将来の商業的発展による経済的な利益あるいはそれ以外の利益を提供者は享受しないことについての声明

          6. ヒト多能性幹細胞に関する研究は、提供者へ直接の医学的恩恵を提供することを意図していないという声明

          7. 提供されたヒト初期胚は、女性の子宮内に移植されるべきでなく、ヒト多能性幹細胞作成過程で生存し続けるわけではないが、研究に使用されるすべてのヒト組織に対して適切に、尊重して取り扱われることについての声明

        2. ヒト初期胚提供者への尊重を確保するために、45CFR §46.107及び§46.108あるいはFDA規則21CFR§56.107及び§56.108に従って設置されたIRB(施設内審査委員会)によって、プロトコール(計画書)は承認されなければならない。

      3. ヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞を利用する実験を計画する実験者たちは、NIHへの申請書あるいは計画書に、以下のものを提供しなければならない。

        1. 胚子は、不妊治療の目的で創造されたという文書

        2. ヒト初期胚は凍結されており、臨床的に過剰なものであるという文書

        3. ヒト初期胚からヒト多能性幹細胞を作成するために使ったインフォームド・コンセントの文書を含む計画書

        4. 研究の計画書についてのIRBの承認文書

        5. 研究に使われる幹細胞は、提供により得られたあるいは得られるであろう保証、あるいは幹細胞の輸送、加工、保存、品質管理及び貯蔵にかかる適切な費用を超えない支払いの保証

    2. 胎児組織からのヒト多能性幹細胞の由来と利用

      1. 胎児組織からのヒト多能性幹細胞の由来と利用についての考察

        ヒト初期胚由来のヒト多能性幹細胞とは異なり、胎児組織から多能性幹細胞を誘導する研究並びにそのような細胞を利用する研究には、DHHS基金を使うことができる。この研究は、胎児組織の研究に関する連邦政府の法律、42 U.S.C. 289g-2(a)及び連邦政府の規則45 CFR §46.210によって管理されている。さらに、研究の初期の段階で胎児組織から由来した細胞は、後日ヒト胎児組織移植研究に使われるかもしれない。胎児組織からの多能性幹細胞の由来並びに利用を含むすべてのDHHS基金による研究は、胎児組織移植研究法42 U.S.C. 289g-1に応じることが、NIHの規則によって要求されている。

      2. 胎児組織からのヒト多能性幹細胞の由来と利用におけるインフォームド・コンセントの必要条件

        胎児組織からのヒト多能性幹細胞に由来する、あるいは利用するNIHが資金を提供する研究は、胎児組織移植研究法(42 U.S.C 289g-1)に適切なインフォームド・コンセント法並びに以下の条件に従わなければならない。インフォームド・コンセントの過程では、研究目的のために彼らの胚子を提供するかどうかを決定するのに必要な、以下の知識に関する潜在的胎児組織提供者との審議を含まなければならない。

        1. インフォームド・コンセントには以下の声明等が含まれなければならない。

          1. 胎児組織は、研究のためヒト多能性幹細胞を入手するために使われるであろう、ヒト多能性幹細胞は、NIH指針に基づいて誘導され使用されるであろう、そして将来移植研究に使われるかもしれない。

          2. 胎児組織に関して同定できるすべてのものは、ヒト多能性幹細胞が由来する以前に取り除かれる。

          3. 提供者は、胎児組織あるいはそれに由来するヒト多能性幹細胞についての以後の検査に関するいかなる情報も受けない。

          4. 由来した細胞あるいは細胞ラインは、すべての同定資料を除去して、多年間保存される。⑤提供されたものが商業的価値を持つ可能性についての声明及び提供者は将来の商業的発展から得られる経済的利益及び他のすべての利益を受けないという声明

          5. ヒト多能性幹細胞の研究は、提供者への直接的医学的利益を与える試みはない。

          6. 胎児の組織及び細胞は、研究に用いられるすべてのヒト組織にしているように丁寧に取り扱われる。

        2. 生殖過程から得られた個人的な提供組織に対する尊重を確保するために、CFR §46.107及び§46.108あるいはFDA規則21CFR §56.107及び§56.108に従って設置されたIRB(施設内審査委員会)によって、計画書は承認されることが求められている。

      3. 胎児組織からのヒト多能性幹細胞から由来するあるいは利用する計画をしている実験者たちは、NIHへの申請書あるいは計画書に、下記のものを提供しなければならない。

        1. 胎児組織からの七ト多能性幹細胞から由来するものに対する、イン フォームド・コンセントの文書を含む計画書

        2. 研究計画書についてのIRBの承認があれば、IRB承認の文書

        3. 研究に使われる幹細胞は、提供によって得られた、あるいは得られるであろうという保証

          あるいは42 U.S.C. 289g-2に基づき承認されたように、幹細胞の輸送、加工、保存、品質管理及び貯蔵にかかる適切な費用を超えない支払いの保証

  3. NIH資金提供には不適当なヒト多能性幹細胞を含む研究領域NIH資金を提供するには不適当である研究領域の範囲

    1. ヒト初期胚以外からの多能性幹細胞の研究

    2. ヒト多能性幹細胞がヒト胚子の創造あるいはヒト胚子への寄与に利用されている研究

    3. ヒト多能性幹細胞が動物の胚子と混合されている研究

    4. ヒト多能性幹細胞がヒトの生殖のためのクローニングに使われている研究

    5. ヒト多能性幹細胞が、体細胞の核移植—たとえばヒト体細胞の核をヒトあるいは動物の卵子の中に移植—を受けている研究

    6. そして、不妊症治療のためよりもむしろ研究目的で創生されたヒト胚子に由来する多能性幹細胞を用いた研究

  4. 監督

    1. ヒト多能性幹細胞を含む研究の資金のためのNIHへの要請には、ヒト多能性幹細胞が、これらのガイドラインに従って由来したか由来するであろうという書面を含んでいなければならない。

    2. ヒト多能性幹細胞を使用する研究のための研究費のNIH要請について、次の者に配慮する。

      1. 現在持っている研究費を使用したいと思っている受給者

      2. 行政上の補足を要請する受給者

      3. 申請書あるいは研究計画書を提出しようとする申請者あるいは学内研究者

    3. 胎児組織からのヒト多能性幹細胞の派生のための資金の要請も考慮する。

    4. すべての申請書は、科学的価値について、下記の人々によって、審査される。

      1. 新規の申請書あるいは進行中の、あるいは更新の申請書の場合には、最初の審査グループ

      2. 既存の研究費あるいは行政上の補足を要請する申請者の場合には、NIHあるいは研究センターのスタッフ

      3. ヒト多能性幹細胞審査会(HPSCRG)へ提出する前の、施設内申請書(intramural proposals)の場合には科学局長(Scientific Director)による。

    5. NIHでは、ヒト多能性幹細胞審査会を設置する。審査会では、申請書がヒト多能性幹細胞を含む研究に対するNIH指針に従っているかについて審査する。正当とされるならば、申請書を支持する情報をさらに要求することもある。

      また、ヒト多能性幹細胞審査会の公聴会において審議されていなかった新しい由来によるヒト多能性幹細胞を用いる研究費の申請、あるいは胎児組織からの新しいヒト多能性幹細胞の派生の研究について研究者が研究費の申請をする場合には、ヒト多能性幹細胞審査会は公聴会を開催する。

    6. ヒト多能性幹細胞審査会は、審査された多くの申請書や計画書並びに会計年内に使い残した研究費を用いるために出されたすべての申請書、追加あるいは行政上の補足、及び施設内研究課題の表題を含む年次報告を編集する。

    7. ヒト多能性幹細胞審査会はまた、NIH所長に「ヒト多能性幹細胞研究に対するNIH指針」のあらゆる改訂について献言するための情報供給源として奉仕する。


星野一正
(京都大学名誉教授・日本生命倫理学会初代会長・現常任理事)