【培地のお話】
10:条件培地(Conditioned Medium)
高岡聰子
Conditioned Medium は培養細胞自身に改良させた培地のことです。日本語の訳語としては、馴化培養液、ならし培養液、条件培養液、調整培養液、熟成培養液などと様々あって得体の知れない培地にも思えます。しらべてみると歴史は長く、1954年に1個の細胞を毛細管に封じ込めてL929細胞を樹立したことから始まり、血液細胞や筋肉細胞、血管内皮細胞などの培養成功の功労者でもありましたし、多くの成長因子、細胞の付着に有効な物質、細胞の分化を誘導する物質などがこの培地から分離されています。
L929細胞の毛細管培養:
細胞集団を増殖させるには十分な培地に1個の細胞を入れて培養すると、培養条件は同じなのに細胞が死んでしまうのは何故かという問題から始まりました。試行錯誤の末、細胞の個数に見合う培養液量で培養する試みがなされ、見事に成功したのです。1個の細胞がconditioningできる培養液量で培養するために、顕微鏡下で1個の細胞が培地と共に毛細管に吸い上げられました。毛細管の端を封じて培養に移し観察するうちに、毛細管の中の細胞は増殖を始め、やがて毛細管内に一杯になったとき、毛細管の端を切ってそのまま液を満たした培養容器の中で培養を続けました。毛細管の中の細胞は培養容器に溢れでて、やがて容器を満たしてL929という世界で最初のクロン細胞系になりました。これがL929誕生のあら筋ですが、アール博士の研究グループはずいぶん苦労なさったことでしょう。勝田先生もアール博士から文献が送られてきたとき、早速、細菌学研究部から高価なマイクロマニプレーションの機器一式を借りて来て、一日中毛細管を引き、吉田肉腫細胞の1個釣りに余念が無かったのですが、とうとう成功しませんでした。それにしても40年も昔、人工的な培地の中で細胞自身が何かを生産して1個でも増殖可能な培地に改良してしまうことを思いつくとは、素晴らしい人達でした。
Feeder layer:
毛細管培養法はかなり高度な技術と忍耐を必要としました。1960年代には、簡便なfeeder layer法が開発されました。これは培養細胞自身に培地を改良させる考えは同じですが、普通に培養された細胞に放射線を照射して物質代謝能は維持され増殖はしない状態にしておき、その細胞層の上に自己増殖能の弱い少数細胞をまきこむという誰にでもできる技法でした。conditioned mediumを供給するfeeder layerには繊維芽細胞などが多く使われ、単独ではコロニーを形成できない細胞系でも、feeder layer上にコロニーを作ることがわかりました。細菌培養と同じように、コロニーの個数を数えて増殖能を定量化することが培養細胞でもできるようになりました。また少数でまきこまれる筋肉細胞や血液細胞は、コロニーの算定だけでなく、培養内での分化誘導にも発展しました。
やがて、feeder layerを使わなくても、conditioned mediumとして培地だけを添加しても、同じような効果が得られることがわかり、有効成分が精製されて多くの成長因子として発表されました。conditioned mediumに含まれている物質は、細胞によっても異なり、高分子あり低分子あり、増殖に関係する物質や増殖阻害に関係する物質、細胞分化を誘導する物質など多岐多様でいまだに完全な分析はできていないようです。
ローズチャンバー:
双子管培養:
これは勝田先生の創案です。二つの試験管の側面に穴をあけて繋ぎ、穴にメンブランフィルターを挟めば、双方の液体はメンブランを通して流通拡散する、メンブランフィルターのポアサイズによって流通する物質の分子量が選定できるというものでした。癌は生体では単独で存在するものではない、細胞培養でも正常細胞との相互作用の場を作ってやれば生体に近い癌の実態が把握できるのではないかという考えでした。実際にこの双子管培養で、正常肝細胞と肝癌細胞のconditioned mediumによる相互作用が立証されました。この実験結果は肝癌細胞の産生するconditioned mediumは正常肝細胞の増殖を阻害し、正常肝細胞のconditioned mediumは肝癌細胞の増殖を促進するというものでした(H.Katsuta and T.Takaoka,JNCI,1964)。
双子管培養法は勝田先生の創出されたものでしたが、その装置は一般化されずに終わりました。底にメンブランフィルターを張り付けたバスケットをマルチウェルに装着してウェル内の細胞とバスケット内の細胞とのconditioned mediumの相互作用をみるという容器が数種類発売されていますが、双子管培養では可能な経時的形態観察や正確な細胞数算定においては十分とは言えません。
生物から取り出した天然培地、化学的に組成の明瞭な合成培地、培養細胞自身が自分の環境を快適にするために産生した物質が加わったconditioned medium、それぞれに利点があります。試験管内で増殖し分化する培養細胞の全容を知るためには、それらの培地を駆使する必要があるのではないでしょうか。
参考文献