時の法令 1476号, 61-68, 1994年6月30日発行 民主化の法理 医療の場合

患者の自己決定権

星野一正


  1. 米国における患者の人権運動と新しい生命倫理学の発祥

      一九六〇年代に米国では、医師の独善的な医療を押しつけられ、医師まかせの医療が当たり前のようになっていた医師と患者の人間関係に、不安と不満をもった患者や家族が「患者の人権運動」を起こし、患者が納得した医療を受けられるように社会的運動を行った。「患者の人権運動」に伴って、病院内のチャペルの牧師(チャペレン)や神学者、宗教家、倫理学者、哲学者、法学者、医療経済学者など多くの異なる専門家たちが、従来の医師や他の医療関係者ならびに生命科学の研究者の態度や行為を批判して、患者中心の医療を受けられるように研究を始め、次第に新しい生命倫理観をめぐる学際的な研究として発展していった。

      一九六九年には、ヘイスティングス・センター(Hastings Center)が、この新しい生命倫理の研究センターとして世界で初めてニューヨークのマンハッタンに設立された。一九七一年には、世界で最初の大学付属の研究所としてケネディ倫理研究所(Kennedy Institute of Ethics)が設立され、翌一九七二年には、百科事典の編纂が始められた。

      一九七八年に「バイオエシックス百科事典」が出版された。このなかに、定義としてバイオエシックスという用語は、ギリシャ語に語源をもつバイオ(生命)とエシックス(倫理)との複合語として生まれた新しい英語であり、生命科学の研究者や医療関係者の態度や行為について、道徳的価値観や原則に照らして学際的に論じ研究する系統的学問である」と記載してある。また、国際バイオエシックス学会では、一九九二年にバイオエシックスは、医療や生命科学に関する倫理的、哲学的、社会的問題や、それに関する問題をめぐり学際的に研究する学問である」と定義した。医療における患者の権利を守る法的概念として発展した「インフォームド・コンセント」も、一九七〇年代の初めごろまでにバイオ エシックスの軸として確立された。

  2. インフオームド・コンセントの確立「患者の人権運動」につれて、納得のできない医療を受けて不満を抱いた患者は医師を訴え、一九六〇年代には医療訴訟の件数が急増した。

      新しい生命倫理観では、患者を病気の対象ではなく、一人の個人として認めた上で患者の意思や人格を尊重し、患者の権利と自由を優先する。そのために、法曹界の専門家たちが、新しい生命倫理観に基づいた医療訴訟の裁判基準を設定する努力を始めた。世界大戦中にナチスの命令で行われたヒトを対象とした残虐な生体実験に対するニュールンベルク国際軍事裁判(一九四六年)の経験をもとに作成され採択された「ニュールンベルクの倫理綱領」(一九四七年)をひな形として、裁判上の基準となる法理を確立した。この法理では、患者の権利に対する医師の義務という法的関係が重要である。

      患者の権利として、医師を選ぶ権利、医療を受ける権利・拒否する権利、真実を知る権利・知らされたくない権利、選択権、だれからも指示・強制・脅迫などを受けずに患者自身で判断を下す自主的判断権(aoutonomy)、患者が自分で最終的決断を下す自己決定権(self-determination)、医師が自分の心身に医学的侵襲(医療)を加えてよいから患者が決定した医療を実施することに同意する同意権(consent)、そっとしておいて欲しいというプライバシー権などならびに患者の権利を放棄する権利があり、それぞれの患者の権利に対する説明義務(truth telling)などの医師の義務を根幹とした法的概念であり、患者の意思の尊重と医療を受けるあるいは拒否する自由を保障している。患者の同意がなく医師が医学的侵襲を患者に加えれば、医師は故意の傷害を患者に加えたことになるところを、患者の同意により故意の傷害の違法性が阻却されて、医師は合法的に医療が行えるのである。この法理をインフォームド・コンセント(informed consent)という。医師が患者に単に説明して、患者が同意書に署名捺印する儀式ではない。

  3. 自己決定の原則的法理

      米国は建国以来、人種も、母国語も、住民感情も、文化的・宗教的背景も、価値観も異なる多数の民族の移民によって構成されており、移民たちの直系の子孫と多民族間の混血の子孫とが国民となっている国家である。背景も異なり価値観も異なる米国民を治めるために、米国では、国民の共通言語を英語として移民者に対する英語教育に熱心であり、各個人の意思を尊重し自由を保障して自治をする必要があったし、現在でも必要がある。このように個人主義を基盤とするデモクラシー社会の伝統のなかで生まれたインフォームド・コンセントにおける患者の自己決定権は、患者自身の自主的判断権と選択権に基づく個人の決定権で、あり、患者の自主的な同意の基礎になる重要な権利である。

      つまり、原則論的にいえば、家族であっても患者本人ではないので、勝手に患者の自己決定権を代行することは許されない。患者が知的精神的判断能力を持たない子どもや精神病患者の場合、あるいは何らかの理由で知的精神的判断能力を失って自主的に判断して自分自身で決定(つまり自己決定)することが不可能になり、家族が代理人に指定された場合には、家族が患者に代わって公的に意思決定をすることが許される。

      米国では、自己決定権を有意義に行使できるためには、医師が患者に真実を告げることが基本的に重要である。そのため、癌などの命にかかわる場合であっても、本人が希望する限り、真実を告知するようになってきている。それに反し、わが国では、癌などの場合には特に、本人には告知せず、家族に告知することが多いという顕著な差異がある。このような日本の現状を理解できないという人が、米国人の大勢を占めている。

  4. 自己決定権の法的保障米国の場合

      米国では患者個人が自己決定した意思をいかに尊重しているかを示す一助として、患者の自己決定権を保障している幾つかの法律の例を挙げてみる。〔統一解剖脂与法〕(Uniform Anatomical Gift Act一九六八年制定・一九八七年改正)

      一八歳以上の人が、知的精神的判断能力がある間に、自分の死後、全身を医学教育や研究のために遺体を大学に提供したいという献体希望の意思や、医学の教育・研究あるいは医療のために自分の身体の一部を提供したいという臓器提供の意思を、生前に表明しておけば、遺言確認の手続もいらず、死後だれの承諾も必要とせず、献体あるいは臓器提供ができると、米国連邦政府の統一解剖贈与法には定めてある。一九八七年改正では、ドナー・カードについても法的に定めてある。

      ちなみに、日本の「角膜及び腎臓の移植に関する法律」(昭和五四年制定)では、角膜や腎臓を摘出する場合には、生前の本人の提供の意思表示があった場合でも、遺族の承諾が必要となっており、「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」(昭和五八年制定)でも同様に、献体は遺族の承諾によると定められている。日本の法的解釈では、人間は死んだら、自分の身体の処分権はもちろん、死ぬ寸前までもっていた個人の自己決定権まで消滅してしまうので、献体についても、死体からの角膜や腎臓の提供についても、死んだ本人には何ら発言権も自己決定権もなく、死人に口なしの状態になってしまう現状である。

      〔カリフ才ルニア州自然死法〕(Natural Death Act一九七六年制定)

        この自然死法は、世界で最初に「リビング・ウイル」(living will)を法制化した法律として有名であり、「末期状態になったときに、生命維持装置を中止するか取り外すようにと、一八歳以上の人が知的精神的判断能力がある間に、医師に対して、文書をもって指示する書面を作成しておく権利をカリフォルニア州は認める」という内容からなっている。このような生きている間に法的に発効する遺言類似の文書をリビング・ウイルといい、この法律は、リビング・ウイルを前もって作成した個人の自己決定権を、何年か後にその人が終末期になった時に発効するように法的に保障した法律である。

        ちなみに、わが国では、リビング・ウイルを保障する法律は制定されておらず、財産相続など特定な事項に関してのみ、遺言として個人の遺志が保護されているにすぎない。

      〔カリフォルニア州医療における持続的委任権法〕(Durable Power of Attorney for Health Care Act一九八三年制定)

        自然死法の制定に成功したカリフォルニア住民は、リビング・ウイルが発効する段階では、自分はすでに判断能力がなくなった終末期にあるわけで、リビング・ウイルの自分の意思が実行に移されるかどうかを見極めることができないので、不安になった。そこで、自分のリビング・ウイルが法的に発効するのと同時に発効する「自分の意思決定を代行してもらう人を前もって委任しておけるような法律」を制定してもらいたいと運動を行った。そして、一九八三年に世界で初めて「医療における持続的委任権法」がカリフォルニアで制定された。この法律のように、医療における自己決定を自分ができない状態になってから発効する医師への指示の文書を元気なうちに前もって作成しておく権利が法的に保障されている文書を総括して「アドバンス・ディレクティプ」(Advance directive)と名付けて、リビング・ウイルと区別している。いうまでもなく、わが国には、このように自己決定権を保障するような法律は皆無である。

      〔米国連邦政府の「患者の自己決定法」(Patient Self-Determination Act一九九〇年制定・一九九一年施行)

        米国連邦政府では、米国のほとんどの州がリビング・ウイルや種々のアドバンス・ディレクティブを法制化したので、各州の住民が病気になった場合に、自分の住む州における患者の自己決定権に関する法律を知ってもらい、作成しておきたい人には作成できるようにと、「患者の自己決定法」を一九九〇年に制定した。

        米国政府の健康保険制度に加盟しているすべての医療機関は、新患がきた場合には、その医療機関が存在する州の定めた「患者の自己決定に関するすべての法律」について患者に説明し、法律があることを知って、たとえばリビング・ウィルを作りたいと希望する場合などには、必要な手続について説明し手助けをしなければならないと定めた。

        このような法律を施行してまで、患者の自己決定権について患者たちに周知させ、権利を行使したい患者に支援の手を差し伸べている。患者の自己決定権の尊重という面における米国と日本の差異はかくも顕著なのである。

  5. 告知における自己決定権

      前述のインフォームド・コンセントで述べたように、患者には、医師が医療を通じて知りえた患者の身体や病気についての真実の情報を医師から知る権利があり、それに伴って医師には説明する義務があるという法理がある。医師の説明の義務は、病名の告知に限られているわけでもなければ、終末期の重症疾患や致死的疾患などについての告知を意味するわけではなく、検査や投薬の際の説明に始まるすべての医療行為に先立って行われなければならないことである。なぜならぱ、医師が説明してはじめて患者は検査や治療の意味が分かり、納得して検査や治療を受けるのであり、そこには患者の自己決定権の行使に際しての前提条件の提示という意味があるのである。告知も説明も同義であり、重要な医師の医療行為なのである。

      日本の場合、癌の告知は告知の中でも難しいので、医師たちの関心も高く、「癌の告知はするべきか、するべきではないのか」という二者択一式の議論が、医師や医療関係者の間でよく行われている。しかし、これでは、患者の自己決定権を無視した患者不在の議論である。いかなる病気の場合であっても、医師が患者に説明するときには、まず患者の意思を尊重しなければならない。「患者には真実を知る権利があるのだから、医師は必ず告知をしなければならない」と断定して、すべての患者に告知すると決めている医師もある。もし、患者が告知を受けたくないからと「真実を知る権利を放棄する」と自己決定していた場合に告知をすれば、患者の自己決定権の侵害になる恐れがある。その反対に、「癌を告知したら患者が精神的ショックを受けてしまうので、だれにも告知しない」と決めている医師の場合に、患者が告知して欲しいと自己決定していたなら、患者の自己決定権の侵害になる。

      法律問題以前に、いずれの場合も、これらの医師の態度は、患者の人権運動以前のパターナリズムとなんら変わりなく、困ったものである。パターナリズムに走りやすい医師は、患者の意見の尊重と自己決定権の重みを認識し直さなければいけない時代に、わが国ですらなっている。患者が説明を求めた場合に、説明(告知)しなければ、医師は説明義務違反に問われても仕方がない。

      告知を含めて、インフォームド・コンセントの説明の難しさは、だれが、いつ、何を、どのように、どこまで説明するか、医学的に確信できることだけをいうのか、かなりの推量を含めて予測のことまでいうのか、すべて歯に衣を着せずに単刀直入にいうのか、婉曲にやんわりと表現するのか、など悩むことが多い。しかし、決してしてはならないことが、少なくとも三つある。「患者や家族に患者の病気について嘘をついてはいけない」「患者の生きる意欲をなくすような表現をしてはいけない(患者の気持ちは傷つきやすくなっていることが多いので、言い方に細心の注意を払う必要があろう)」、さらに「医師の個人的判断にのみ基づいた不確かな推量を患者に告げて、患者の自主的判断権と自己決定権の行使に好ましくない影響を与えてはならない」の三つである。

      医師や一般の人々のなかには、特に病人でない人たちは「余命が短いときには特に余命の告知をするべきであり、それは患者にとって最も重要な人生の最後の期間を最大限に有意義に使ってもらうために必要である」と主張する人が多い。しかし、終末期の弱った患者たちが、果たして、この主張のように考えるであろうか。消えそうな体力と気力をやっと保って生き続けている死を目前にした風前の灯のような命の残り火をやっと燃やしている患者は、理由はともかく、自分の死期が近づいていることを感じとっている場合が多いのではなかろうか。患者の気持ちへの共感と暖かい心の支え、静かに通う気持ちの交流による患者の精神生活の質の向上に力を貸すことを忘れてはならないと考えるものである。

      現に、現在の医学医療のレベルで患者の余命期間を予測する確実な方法はなく、ただ医師の経験と勘に頼るだけであるから、「あと何週」とか、「あと何日」と患者にいうのは、医師として不遜な行為ではなかろうか。

      一九九三年九月三〇日にロスアンゼルスの最高裁判所でのArato対Avedeon裁判で「患者の統計上の推定余命を患者に告知しなければならないとはいえず、また、インフォームド・コンセントには十分な情報の説明が必要ではあるが、ある程度は医師の裁量を行使するべきである」という、画期的な判決が米国で下されているが、よい参考になろう。

  6. 米国とは異なる自己決定権のあり方

      米国で起こった患者の人権運動の結果として重きが置かれるようになった患者の自己決定権については、種々の角度から述べたつもりである。しかし、文化や歴史的背景も異なり、したがって、国民感情や習俗も異なる環境で、果たしてインフォームド・コンセントや自己決定権が米国におけるのと同じように機能するのか、あるいは機能するべきなのか、考えてみる必要があろう。

      たとえば、イギリスの裁判所は、医師の裁量に重きを置き、患者の真実を知る権利に基づく自己決定権の行使を含むインフォームド・コンセントには重きが置かれていない特徴があることはよく知られた事実である。

      また、南部イタリアでは、医師と家族が、患者に辛いことを聞かせないように努め、また、どうしたらよいのか判断に困るような難しいことについては患者には決めさせないようにして、医師や家族が重荷を肩代わりし、患者には安らかな気持ちで療養に専念してもらうという慣習があるので、インフォームド・コンセントは社会的に受け入れられない。このイタリアの場合は、医師や家族の行為をパターナリズムでは片づかない、もっと生活に深く根を下ろした慣習あるいは習俗に基づいていると解釈するべきであろう。もし仮に、米国式にインフォームド・コンセントをしようとしても、患者が困惑してついていけず、あるいはついていこうという意欲すら示さないことが多く、患者は、家族たちが医師と相談して決めてくれたほうが、病人の自分が決めるよりもずっといい判断をしてくれるに違いないと信じている、と報告されている。自主的にだれの影響も受けずに判断して、何が一番自分によいかを考えて決定するべきだといわれても、ただ迷惑だと思う、自己決定権を行使したいという意欲がまった(な い人々も地球上には沢山いるようである。わが国の、家族の絆が固い地方でも似た状況であり、東京などの大都市に住む近代的な核家族の進歩的な人々とはインフォームド・コンセントや告知の受け入れ方が違うようである。

      わが国のように、集団帰属意識が強く、家族や家族同様に親しい仲間の意見を尊重して自分が帰属する集団内の調和と和を尊び、自分の意見や意志を剥き出しにしない生活態度が、小さいときから躾として身につけられて育ってきた人々に、他の人々の感情を斟酌せずに、個人主義的に自己決定するように進めても馴染まないのは当たり前であろう。

      自己決定権が患者個人にのみあって、家族といえども患者本人ではないという理屈は、家族主義的、仲間主義的、集団主義的生活感覚をもっている人々には、ピンとこず、家族にも相談できないのでは、やりにくくてと拒否反応が生まれかねない。郷に入っては郷に従えで、しばらくの間は、患者の自己決定ではなく、患者と家族の意思決定と読み替えるほうが、わが国の国民感情に馴染むものと思われる。

      家族は、患者の意思を代理決定してもよいのだという考えを変えて、患者の意思を理解し尊重した上で、患者と家族が相談して意思決定をするように努力したら、わが国の現状も好転するに違いない。そのように一日も早くなることを願っているものである。


星野一正
(京都大学名誉教授・日本生命倫理学会初代会長)