時の法令1484号,59-65,1994年10月30日発行 民主化の法理=医療の場合

本人の意思による死の選択
オランダの安楽死裁判所史上新しい局面

星野一正


    まえがき

      一九九四年六月二一日に、オランダ最高裁判所は、医師による自殺幇助事件について画期的な判決を下した。生きていることに耐えられない精神的な落胆・悲しみ・苦渋にさいなまれ、生きていく希望も目標もない状態ではあっても医学的に精神異常とはいえず、肉体的にも異常であるとは診断ができない、つまり極度に精神的に悩んでいる健常人といわざるを得ない五〇歳の女性の、本人の意思による真摯なほ要請を入れて、自殺幇助を決行した精神科医バウドワイン・シャボット医師の行為に対して「有罪であるが、刑罰は科さない」という判決を下し、安楽死の裁判史上に重要な足跡を残した。

  1. オランダにおける安楽死の現況

      本誌一四七八号と一四八○号で述べたように、一九九三年一一月三〇日にオランダ議会の上院を通過して一二月二日に公布された「埋葬法改正法(二二五七二号)」により、オランダには現在でも、医師による安楽死を犯罪とする「刑法一八八六第二九三条」並びに医師による自殺幇助を犯罪とする「刑法一八八六第二九四条」が存在しているにもかかわらず、患者本人の意思並びに真摯な要請に基づき、かつ厳しい条件を満たしている場合に限り、安楽死させたり自殺幇助をした医師が、起訴されることがないような法的条件が整った。患者の生命を終焉に導くこれらの医師の行為には、前者の場合には薬物を医師が患者に静脈注射し、後者では医者が患者に渡した薬物を患者自身が服用するという違いがあるが、異常死報告届出義務のある死亡に立ち会った医師の法的報告手続は変わらず、ここでいう安楽死と自殺幇助は通常区別せずに、安楽死と表現していることが多いので注意を要する。

  2. シャボット裁判までの経過

      この安楽死裁判が注目されたのは、前述のように、健常人といわざるを得ない女性の自発的要請を聞き入れて自殺幇助をした最初のテスト・ケースにおけるシャボット医師に対する裁判であったからである。

      〔A女史が、シャボット医師に出会うまで〕

        この女性(A女史)と、セールスマンをしていた夫との結婚生活は平穏ではなかった。夫がアルコール中毒者であったために彼女にしばしば暴力をふるい、夫婦仲が悪かったが、ソーシャルワーカーとして働きながら二人の息子の母親としての生活に幸福を味わっていた。

        長男が兵役に服し、ドイツに駐在している間にドイツ人と恋におちた。仲むつまじかったのであったけれども、その女性に別の恋人ができ、失恋してしまった。その結果、長男は、兵役を済ませず、自分の心臓を銃で打ち抜いて自殺してしまい、二〇歳の若さで母を残して先に死んでしまった。

        息子に自分の生きがいをかけていたA女史の受けたショックは並大抵ではなく、自殺を考えた。しかし、精神科医の助けを求め、次男のために生きる決意を固め、次男を連れて家出し、二人での生活を始めた。その後、夫との離婚は成立したが、前夫からの嫌がらせは後を絶たなかった。

        兄の自殺のショックから立ち直れないで苦しんでいる母親を優しく慰めていた次男が、交通事故に遭い入院してしまった。けがのほうの心配はなかったけれども、不幸にして次男に癌が発見され、しかも手遅れの状態であった。次男は、治りたい意欲を示したけれども、末期癌で化学療法も効かず、非常に苦しんだ。生命維持装置を付けられて延命治療を受けていたが、延命だけの目的に疑問をもったA女史は、医師に延命治療の意義について尋ねた。医師たちは協議の結果、やりがいのない治療であると告げると、A女史は、生命維持装置を取り外すように医師に依頼した。装置が取り外される日に、A女史は、長男、次男、そして自分のために墓地を買った。次男は、長男と同じ二〇歳で、兄の後を追った。その晩、A女史は、それまでにためていた睡眠薬を服用して自殺を図った。A女史の妹夫婦も親友もA女史の気持ちが分かっていたので、自殺を図ったA女史を発見した後も、すぐには医師を呼ばなかった。しかし、A女史は、死ねなかった。

        死に損なったA女史にとって、生き返ってしまったことは恐怖以外の何物でもなかった。自分の尊厳を保ちながら、安らかに死ねるように幇助してくれる医師を真剣に探し始めた。なぜなら、彼女の「かかりつけの医師」は取り合ってくれなかったし、長男の自殺後に世話になった精神科の医師は、宗教上の理由から拒否されるであろうと思ったから。六人の医師に自殺幇助を断られたA女史は、オランダ自発的安楽死協会に救いを求め、シャボット医師を紹介してもらうことができたのであった。

      〔A女史が、シャボット医師に出会ってから〕

        シャボット医師は、なぜA女史が自殺幇助を求めるかについて自分自身で納得ができなければ、幇助してあげられないとA女史に伝えてから、調査を始めた。A女史が自分の人生、自分の感情の動きなどについてシャボット医師に語った内容については、後日遺族の許可を得てシャボット医師が「選ばれた運命」と題して単行本として出版しているので、省略する。

        シャボット医師は、A女史のみならず、A女史の妹夫婦や親友からも話を聞き、また、A女史の「かかりつけの医師」や以前彼女を診療した精神科医から、A女史のカルテなどすべての記録を受け取って調査した。これらの資料に基づいて、シャボット医師は、精神科医四名と精神療法士、さらにA女史の「かかりつけの医師」の計六名の専門家と相談し、意見を求めた。このうち、二人の精神科医が自殺幇助に反対した以外には、自殺幇助してあげるしかない、という結論であった。しかし、これらの専門家たちは、A女史を自分で診察はしなかった。このことが、後に裁判では重要なポイントとなった。

        シャボット医師は、A女史が次男を失った一時的な喪失感による状態ではなく、生きる意義と意欲を完全に失ったA女史には、もはや死ぬことのみが残された人生の目的であり、もし医師が幇助しなければ、苦しみを伴い尊厳を傷つける自殺行為しかなく、それでは周囲の人たちにも必要以上の苦しみと悲しみを与えることになるであろうと、結論した。シャボット医師は、英国医学雑誌の記者(TonySheldon)に「最終的な結論は自分で出した。人の生き死にについて、倫理委員会が多数決で決められるとは思えないから」と語っている(BritishMedicalJournal1994;309:7-8)。

        シャボット医師が、A女史に「ご希望通りに自殺幇助をしましよう」と彼の決意を告げると、A女史は、涙を流して感謝したという。

      〔A女史が自殺幇助を受けた時〕

        A女史の家にシャボット医師と友人の医師がついた時、彼女の親友はすでに来ていたが、妹夫婦はいなかった。シャボット医師は、A女史に「私たちは、ここに来たけれども、今でもあなたが死ぬ決意を変えることを願っています」と彼女の今の気持ちを確かめるために告げたが、彼女の気持ちは変わらなかった。A女史の好きなバラの花で飾られた家の彼女の寝室で、睡眠剤を含む致死薬を配合したカプセルと水薬をシャボット医師から受け取ったA女史は、準備しておいた半液状のプディングなどと混ぜて服用して、ベッドに横になり、ベッドの脇に置いてあった息子たちの写真にキスをして目を閉じた。七分後には、A女史は意識を失い、さらに一五分後には彼女の顔色が変わり始め、服薬後三八分の時、A女史は親友の腕の中で息を引き取った。

        この日の正午ころに自殺幇助を実施する予定であることを通知してあった検死官にシャボット医師が電話すると、すぐに駆けつけた検死官は、A女史の身分証明書と照合して、A女史であることを確認した。次いで、シャボット医師の報告書を読んだ上で、立ち会った三人に質問をしてから、検察庁に報告して、埋葬の許可を得た。

        検死官が帰った後で、シャボット医師がA女史の妹に電話すると、すぐに妹夫婦が駆けつけてきた。実は、妹は、姉の死ぬところを見るに忍びないのと子供たちに伯母が自殺することを話していなかったのであった。

  3. シャボット裁判の経過

      一九九三年の四月の一審では、検察側がシャボット医師に対して一年の執行猶予付きの実刑を要求したが、アッセン地方裁判所は無罪とした。

      一九九三年の九月の二審では、検察側がシャポット医師に対して六か月の執行猶予付きの実刑を要求したが、レウワーゲン高等裁判所は、不可抗力による「緊急避難」を適用して無罪とした。これに対して、検察は最高裁判所に、次の理由をつけて上告した。①A女史の苦痛は、肉体的な原因によるものではなかったので、死期は迫っていなかった。②A女史は鬱状態であったので、自己決定能力に欠け、熟慮した上での自発的要請ではなかった。③シャボット医師が意見を求めた専門医は、だれもA女史に会っていない。

      一九九四年に入って、最高裁判所の相談役である検事総長がシャボット医師は罰せられるべきではないという内容の勧告を最高裁判所に出した。

      一九九四年六月二一日に、オランダ最高裁判所は、シャボット医師による自殺幇助事件について、検察側の上告理由の①と②については認めず、ただ、③については、精神的苦痛が理由で自殺幇助を求められた場合には、担当医師以外に最低もう一人の医師が実際に面接診察しない限り「緊急避難」は適用できないとして有罪としながらも、刑罰は科さないという画期的な判決を下した。

  4. オランダにおける安楽死の法的要件の歴史的変化

      (1)レウワーデン地方裁判所「安楽死容認四要件」

      一九七一年の安楽死事件で起訴されたポストマ女医に対する一九七三年に行われた裁判(本誌一四八○号)で、レウワーデン地方裁判所は、次のような「安楽死容認四要件」を発表した。

      ①患者は不治の病にかかっている。

      ②耐えられない苦痛に苦しんでいる。

      ③自分の生命を終焉させて欲しいと要請している。

      ④患者を担当していた医師あるいはその医師と相談した他の医師が患者の生命を終焉させる。

      (2)一九七三年王立オランダ医師会声明

      一九七三年に王立オランダ医師会では、「安楽死は、法的には犯罪であることには変わりはないが、もし医師がある患者の症例についてあらゆる角度から検討した結果、不治の病にかかり死を目前にしている患者の生命を短縮した場合に、裁判所は、医師の行為を正当化しうるような『医師としての義務の相剋』があったかどうかについても裁判するべきであろう」という内容の声明を出した。

      (3)一九八四年一一月の最高裁判所の裁決

      アルクマール事件(本誌一四八○号)は、一九八四年一一月の最高裁判所の裁決により、ハーグ高等裁判所にまわされて判決されたが、オランダにおける「本人の意思に基づいて真摯に要請された医師による安楽死の容認」が法的保障に向けて顕著な発展を見ることになった。

      (4)一九八四年の王立オランダ医師会の「安楽死に関する公式見解」

      この見解の中で、次の点が特に強調された。

      ①患者の要請に基づいて医師が安楽死を実施する場合には、完全に患者の自発的な要請によるものでなければならない。

      ②患者が要請したときに、もし、医師が実行することに同意できない場合には、患者との人間的関係を損なわないように注意しながら、その患者を安楽死を実施してくれる他の医師に紹介しなければならない。

      ③いずれの場合にも、安楽死は、患者にとっての最後の選択肢として実施されるべきである。

      (5)一九八四年の「王立オランダ医師会の医師へのガイドライン五要件」

      王立オランダ医師会の公式見解の中の「五要件」の勧告

      ①安楽死の要請は、全く自発的でなければならない。

      ②安楽死の要請は、十分に考えた上でなされるべきである。

      ③安楽死の要請は、持続的で、特定な期間を限らない。

      ④患者は耐えられない苦痛にさいなまれ続けており、その苦痛は、疼痛による苦痛か、肉体的に苦痛として感じるものか、病態に基づく苦痛か、あるいは疼痛を伴わない肉体の崩壊によるものか、のいずれかである。

      ⑤安楽死の臨床に経験のある同僚医師に意見を求めること。

      (6)一九八五年のハーグ下級裁判所判決

      安楽死を患者自身の要請に基づいて実施してもらえる患者は、必ずしも終末期の患者でなくともよいことが認められた最初の判決である。

      (7)一九九一年のレメリンク・リポートの提出

      法務大臣と保健担当国務大臣に提出したレメリンク・リポート

      ①患者の生命をやや短縮する副作用のある疼痛対策療法や諸症状に対する対症療法を実施。

      ②生命維持療法を中止するか初めからしないで、死が間近な終末期の患者の寿命に任せる。

      ③患者自身の生命維持に必要な生体機能が既に衰えてしまった場合に積極的に生命を終焉させること。

      (8)異常死報告届出義務のある死亡

      第一項目・・・患者本人の意思と真摯な要請に基づき医師が実施した自発的安楽死

      第二項目・・・医師が行う患者の自殺幇助

      第三項目・・・患者の明確な要請がないのに医師が患者の生命を短縮した場合

      〔レメリンク・リポートに対する政府の見解〕

      第一項目と第二項目については同意した。

      第三項目の場合、全例について裁判所の裁決が必要であり、そのために、一九九〇年に第一項目と第二項目の場合に報告義務を決定した報告届出制度に従って、第三項目もまた報告しなければならないとした。

      〔シャボット裁判の結果〕

      ①精神的苦痛も医師による安楽死あるいは自殺幇助の理由となり得る。

      ②終末期でなくても医師による安楽死あるいは自殺幇助は認められる。

      ③精神科患者も、一般に意思決定能力をもっている。

      ④耐えられない苦痛が精神的な理由にある場合、担当医師以外にも、最低もう一人の独立した立場の医師が、直接に診断しなければ、「緊急避難」を適用して違法性を阻却することは認められない。

      *

      ジャネット・アカネ・シャポット女史から彼女の親戚であるシャポット医師の事件に関する貴重な資料を提供されたことを深謝する。また、同女史の執筆になる文勢春秋一九九四年一〇月号三一〇〜三二〇ページ「オランダ健常者安楽死裁判リポート」を参照されたい。


星野一正
(京都大学名誉教授・日本生命倫理学会初代会長)