時の法令1568号, 53-67,1998年4月30日発行
民主化の法理=医療の場合 42


患者の人権運動を促進したビーチャー博士の重要論文

星野一正


一九六〇年代の米国の患者の人権運動

    第二次世界大戦の終結以来、米国では種々の人権運動が起こり、人権意識がいやが上にも高まっていった。

    一九六〇年代に入ってから、「医師任せの医療」に不安と不満を覚えた市民たちが、自分の生命を自分で守るためには、医療を受ける前に、自分の病気のことや診断や治療の見込みについて詳しく知りたいと考えるようになっていき、「患者の人権連動」が始まった。この運動に共鳴した宗教家や倫理学者をはじめ多くの分野の学者たちが、運動を支援するために、学際的な研究を始めた。なぜ医師たちが積極的・独善的に一段高い所から患者たちに決めた医療を押しつけるようになったのかの研究をした。その結果、医療の専門家であるという奢りから、患者に対して「知らしむべからず依らしむべし」というパターナリズムの態度をとるようになったと解釈し、医師は患者に分かるように十分に説明した上で、患者が理解して自分で選択した医療を受けられるようにするべきだという主張をする運動に発展していった。

    一九五七年の医療過誤訴訟の判決で、医学的侵襲を含む医療をする場合には、事前によく説明して、患者からその同意を得なければ暴行罪とするという最初の法理が出され、「インフォームド・コンセント」が充実していった。

    この運動の最中に、私はカナダの医療センターに勤務していたが、次の論文が発表され、非常な衝撃を受けた。

ビーチャー教授の論文「倫理と臨床研究」の影響

    一九六六年六月一六日発行の医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」(The New England Journal of Medicine 274:1354-1360, 1966)に、米国のハーバード大学医学部麻酔学教授のヘンリー・ビーチャー(Henry K. Beecher)博士の、特別寄稿論文「倫理と臨床研究」(Ethics and Clinical Research)が掲載された。

    この内容が公にされるや、米国の一般病院における入院患者が、人体実験もどきの臨床研究の対象とされていた事実が注目され、社会的に衝撃を与えた。それにより「患者の人権運動」の火に油を注ぐ結果となり、連動はますます盛んになっていったのであった。

    社会的影響の強かったこの論文は有名ではあるが、その全容が日本語では広く紹介されていないので、原文を翻訳して紹介する。

*

特論倫理と臨床研究 ヘンリー・K・ビーチャー ボストン (The New England Journal of Medicine 274:1354-1360, 1966)

Massachusetts General HospitalにおけるHarvard Medical Schoolの麻酔学研究室より。Henry K. Beecher, M.D., Dorr Professor of Research in Anaesthesia, Harvard Medical School.

(一)ヒトを対象とした実験

    第二次世界大戦以来、ヒトを対象とした実験において、被験者として患者が使われることが多くなるにつれて、もし患者が被験者として利用されるであろうと本当に知っていたならば利用はされなかったであろうことが明らかな場合に、色々と難しい問題が起こってきた。以下述べるような症例において、多くの患者たちが危険について十分な説明を受けていなかったし、また、本論文で記述するような実験の直接の結果として被った容易ならざる結末にもかかわらず、何百人という患者はそのような実験の当事者にされていたことすら知らなかったという証拠を、筆者(ビーチャー博士)は掌中にしている。ある知識人の集まりでは、このような事態に配慮することは「発展を阻止する」という考え方が支配的である。しかし、ローマ教皇ピオ一二世(Pope Pius XII)によれば、「…科学は、他のすべての価値観の順位の中で の最高の価値ではない…下位に置かれるべきである」。

    これらの証拠のある問題は、問題を起こした症例から起こったもので、問題を起こしたことへの非難である。筆者が提案したように、これらの問題は、指導的な医学部、大学病院、個人病院、政府の軍事機関(陸、海、空軍)、政府研究機関(国立衛生研究所)、在郷軍人病院や企業での症例から記録することができる。これらの非難の原因は、広範にわたっている。

    *「臨床研究における問題点と複雑さ」というブルック・ロッジ・コンファレンスにおいて、筆者は、「臨床実験における倫理的行為の不履行は決して稀ではなく、心配になるほど、ほとんど一般化されている」と批判した。一般化と言うことによって筆者は、ヒトを対象とした研究がかなりの範囲で行われている領域のすべてにおいて実例は簡単に探しうるという事実を明白に紹介できると思ったのであった。報道による論評によれば、それは明白ではなかったというので、本論を発表する次第である。

    アメリカの医学は、健全であり、その医学における進歩発展のほとんどは堅実に達成させていると、筆者は断言したい。とはいえ、ある領域には気掛かりとなる理由があり、本論で述べようとしている種類の行動は、早めに矯正しないと、医学にとって有害となろうと思われる。これらの事柄について何か言うと、医学を傷つけると非難されるに違いないが、本論で引用しようとしているような実際行われている行為が継続することに比べれば、大きな問題ではないと、筆者には思われる。

    ヒトを対象とした実験は、色々の領域で行われている—実験例:ボランタリーの患者や健常者/治療を兼ねて/患者の利益にはならず実験目的だけで患者を対象として種々異なる領域の実験/少なくとも理論的には一般の患者たち。

    本論では、この最後の種類の人々に限定してある。

(二)本研究が緊急を要する理由

    倫理的な過失は、数が多いだけではなくて、種々様々なのである—たとえば、臓器移植において起こってきている最近の問題などもそうである。

    一般的な問題についての真剣な配慮が、なぜ急を要するかについては、多くの理由がある。

    研究費でみれば、利用可能な基金の莫大かつ継続的な増加は、下記のように卓越して重要なことを示している。

    毎年研究に使える資金

      マサチューセッツ総合病院(MGH)
      一九四五年五〇万ドル
      一九五五年二二二万二八一六ドル
      一九六五年八三八万四三四ニドル

      国立衛生研究所(NIH)
      一九四五年七〇万一〇〇〇ドル
      一九五五年三六〇六万三二〇〇ドル
      一九六五年四億三六六〇万ドル

    第二次世界大戦以後、マサチューセッツ総合病院における研究(主にヒトを対象とした研究)に対する年間支出額は、一七倍も顕著に増加した。国立衛生研究所(NIH)では、六二四倍という巨大な増加であった。NIHにおける国家予算の増加率は、マサチューセッツ総合病院における増加の三六倍以上である。大雑把ではあるが、これらのデータは莫大な機会とそれに伴う拡大された責任とを示している。

    新治療法を一般医療に応用するのに先立って、ヒトを対象とした実験を先行させなければならないと強調する近年増加しつつある妥当性と多額の資金の投入とを比較してみる時、これらの妥当性と資金が、供給しうる責任感のある研究者の数を超えているといえよう。これらすべてのことが、今回論議しようとしている問題を誇張している。

    医学部や大学病院では、医師よりも研究者たちに占められる傾向が強くなっている。若者たちは、研究者であることを自分で実証しない限り、終身在職権(tenure)のついた地位に昇格したり、一流大学医学部教授に昇格することはないであろうことを、だれでも知っている。もしこのような身分に関する条件に加えて、研究を実施するための資金を入手できるとしたら、野心的な若い医師たちに与える圧力がどれほど大きいものかは、だれでもわかるであろう。

    心臓疾患、癌並びに卒中に関する大統領委員会の勧告が実施されると、さらに天文学的な多額の資金がヒトを対象とした研究に提供されるようになるであろう。

    前述の三つの実際問題のほかに、Sir Robert Plattが指摘した次のような問題点がある。

    社会的道義心の一般的な認識/新しい治療法、新しい手術法や新しい実験方法における良い点と害になる点に対する以前より強い批判/現在個人にはもちろん地域社会全体に適用されている利点と危険を伴う予防医学的処置のための新しい方法と増大する傷害の可能性/病気やその治療法に関する諸問題を解決するのに、ヒトを対象とした実験がいかに有効であるかを医療科学が証明した/それゆえ、実験が増加するであろうと予測されている/臨床的研究を専門とする新しく発達した概念(たとえば、臨床薬理学)—これはもちろん、科学の利益と患者の利益との間を裂く不幸をもたらし得る。

(三)非倫理的なあるいは倫理的に疑わしい行為の頻度

    倫理の冒涜が行われていることについては、ほとんどだれもが同意するであろう。実際問題として、どのくらいの頻度で?

    この問題の予備的調査は、一七の実例について行われたが、五〇の調査に増やすことは容易であった。これらの五〇の調査には、一八六例(一調査あたりに三、七症例)の実例が含まれている。これらの実例の中には、ときに、論文と論文との間で一部が重複していることもあるが、これらのデータは、非倫理的な症例の資料を、簡便に探すことができることを示している。データは、広範に広がった問題であることを示唆しているが、他の種類の情報も必要である。それらは優秀な医学雑誌に一九六四年に発表されたヒトを対象とした連続的な一〇〇例の研究を調査して得られた情報なのである。この中の一二の研究は、非倫理的であると考えられた。もし一二の研究のうちの全部ではなく四分の一が非倫理的であっても、深刻な状態が存在していることを示す。Pappworthによれば、彼は英国で、非倫理的な実験に基づく五〇〇編以上の論文を収集したとのことである。これらの観測から、非倫理的なあるいは倫理的に疑わしい行為が珍しくはないことは明らかである。

(四)コンセント(同意)の問題

    いわゆる倫理綱領は、すべて、求めさえすればインフォームド・コンセントは容易に得られるというもの柔らかい受け取り方に基づいてる。他のところでも指摘してあるように、そのようにいかないことがしばしばである。十分な説明という意味でのコンセントは得られにくい。それにもかかわらず、ほとんどの一般的な状態では、社会的な、倫理的な、そして明白な法的理由から、努力しなければならない目的点としてコンセントは存在している。このことに関して選択の余地はない。

    患者は、担当医が適切に申し入れた場合には、要請されたことについては何でも、医師への信頼に基づいて同意するであろう。同時に、経験のある臨床家の研究者は、患者は時に、長続きはしないまでも不自由さや不安を受け入れるであろうことも知っている。しかし、通常は、科学の目的のために自己の健康や生命を危険にさらすことに決して同意しないであろう。

    本研究のために集めた五〇の調査例中の二例では、上述のようなコンセントであった。事実問題として、言うまでもなく道徳的・法的理由から、全例について強調しておかなければならないが、コンセントに依存し過ぎるのは現実的ではない。どのような厳密な意味においても、コンセントに関する発言は、すべての危険性についてどこまで患者が知らされていたかを知らなければ、無意味である。もし、これらのことを知らなかったなら、そのこともはっきりさせておかなければならない。コンセントよりも頼みになる安全手段は真に責任感のある研究者の存在である。

(五)非倫理的なあるいは倫理的に疑わしい研究の例

    これらの例は、個人の糾弾のために引用したのではなく、実験医学において見つかった種々な倫理問題に注意を引くために記録されたものであり、それは、これらの問題に注意を引くことによって、現在行われている悪習を是正するのに役立つことを希望しているからである。過去一〇年にわたるこれらの問題の研究期間に、患者の人権を故意に無視するのではなくて、思慮を欠く不注意によるものだということが明らかになった。とはいえ、提示した症例の多くにおいて、実験の対象となった人々の健康や生命に、研究者たちが危険をもたらしたことは明らかである。最悪の症例を披露しようという試みはせずに、むしろ、遭遇した変化にとむ症例を提示することを目的とした。

    提示した症例についての引用論文は示さなかった。それは、個人を指摘する目的でなく、むしろ、広く注意を喚起することを希望した。しかし、全例において、本誌のエディターが満足するように記述してある。

    (1)既知の有効治疲法を告げなかった例

      実例1〕

      リューマチ熱(rheumatic fever)は、通常ペニシリンの非経口的投与による呼吸器感染の適切な治療によって連鎖球菌感染を予防することができることは知られている。にもかかわらず、一〇九人の陸軍兵士患者群には最も信頼できる治療をせずに、プラシーボ(薬効のない物質)が与えられ、他群にはベンザシン・ペニシリンが投与された。各人が受ける治療は、陸軍の登録番号順に、プラシーボ投与群よりもペニシリン投与群が多くなるように、自動的に決定した。プラシーポ投与群の患者の中から二例の急性リューマチ熱患者と一例の急性腎炎患者が発病したが、ペニシリン投与群からは発病しなかった。

      〔実例2〕

      多年にわたり、スルフォンアマイドは、急性ストレプト球菌による喉頭炎の治療期間の短縮と化膿性合併症を減少させるのに有効な唯一の抗菌剤であった。本研究は実験者の本剤投与によって、重症な非化膿性合併症、リューマチ熱や糸毬体腎炎の発症を減少させられるかどうか、を決定するために実施された。本実験は、ペニシリンを含む抗生物質がリューマチ熱の発病を予防するという経験もなく行われた。対象者は、ほぼ同数の対照患者を含む大きなグループの入院患者で、さらに浸出性グループA連鎖状球菌症も含まれていた。最後のグループの患者は、非特異的治療のみを受け、スルファダイアジン(スルフォンアマインドの一種)投与は受けなかった。効果的なペニシリンを使わなかった全グループは、五〇〇人以上からなっていた。

      スルファダイアジン治療患者の五・四%でリューマチ熱が診断された。対照群では四・二%でリューマチ熱が発症した。

      この実験に関して、医師群は、書面で被験者には説明をしていなかったし、同意も得ていなかった。被験者たちは、この実験に参加させられることも知らされていなかったのに、実のところ、二五人の被験者にはリューマチ熱が起こった。この医師によれば、この医師が病棟にいた時、最も信頼できる治療を差し控えられていた七〇人以上の被験者がリューマチ熱患者病棟にいたという。

      〔実例3〕

      二つの方法で治療した腸チフス患者における再発率に関する研究である。これらの研究者による初期の研究では、クロラムフェニコールを投与しなかった症例に比べて、投与群では死亡率が半減し、本製剤が腸チフスに対して有効な治療であると認められた。他の研究者たちも同様の成果を収めており、この効果のある薬剤を投与しないことは患者の生死を決定し得ると指摘された。今回の研究は、二種類の治療法による再発率を調べるために実施された。四〇八人の施療患者のうち、クロラムフェニコールを投与した二五一人では二〇人、すなわち七・九七%が死亡した。クロラムフェニコールを投与せず、対症療法のみ行った一五七人の患者では三六人、つまり二二・九%が死亡した。示された結果からすれば、もし適切な治療法を受けていたならば死亡するとは予想されなかった二三人の患者がこの研究中に死亡した。

    (2)治療法の研究

      〔実例4〕

      トリアセチルオレアンドマイシン(TriA)は、元々、グラム陽性菌感染症の治療のために導入された薬剤である。肝機能不全について、特に小児において、むらのある症状が現れたので、本実験では、小児施設の収容児である精神障害児や非行少年を含む五〇人について実施した。ニキビ以外には何の病気もなかった。ニキビの治療のためにこの薬剤(TriA)が投与された。被験者たちの年齢は一三歳から三九歳の範囲であった。半数の被験者が四週間投薬されるまでに、顕著な腎機能障害が高率に現れ、残りの半分の被験者には三週間で投与を中止するに至った(しかし、TriA投与開始後、わずか二週間で五四%の被験者にプロムスルファレンの異常排出が認められた)。

      顕著な腎機能障害を示した八人の被験者は、「さらに集中的検査のために」病院に転送された。病院では、これら八人に肝臓のバイオプシーが行われ、そのうちの四人には再度実施された。肝障害が起こったことは確かであった。これら八人の入院させられた被験者のうち、四人は退院させられて施設に戻り、「攻撃的容量」のTriAを投与された。投与二日以内に、四人中の三人に、肝機能障害が明瞭となった。最初の「攻撃的容量」のTriA投与後に、残りの一人には、二回目の「攻撃的容量」のTriA投与が行われたところ、肝臓の機能異常が証明された。TriA投与が中止された後、五週間たっても患者の中には凝集反応が陽性の者があった。

    (3)生理学的検査

      〔実例5〕

      クロラムフェニコールの血液学的毒性検査のための対照を立てた二重盲検法による実験において、クロラムフェニコールは、「再生不能性貧血の原因として周知」であり、「再生不能性貧血の病状は長引き、死亡率は高率である」し、「クロラムフェニコールによる再生不能性貧血は、投与量との関係が深い」。本実験の目的は、クロラムフェニコールの血液学的毒性を明確にすることであった。

      無作為抽出法による四一人の患者は、一日量として二グラムか六グラムのクロラムフェニコールを投与され、一二名の患者が対照群となった。二グラム投与群の二〇人中二人の患者に、六グラム投与群の二一人中一八人に、骨髄の毒性機能抑制、特に赤血球生成抑制が起こった。通常の投与量としては、少量投与がすすめられた。

      〔実験6〕

      同種皮膚移植における移植成功における胸腺切除の効果を研究する目的で、生後三か月半から一八歳までの先天性心疾患で手術前の一八人の患者が選ばれた。そのうちの一一人の患者は胸腺の全摘出手術を受け、他の七人は対照となる。実験の一部として、血縁関係のない成人ドナーから皮膚の全層が、同種移植組織として、各患者の胸壁に縫い込まれた。今回の研究は、これらの子どもたちが長い年月の間にどのように成長し発達していくかについて長期間観察する研究の一部として提案されたものである。これらの二群における同種移植された皮膚の生着率には相違はなかった。

      〔実験7〕

      本研究は、三一人の患者についてのシクロプロパン麻酔と心臓性不整脈の研究である。研究の平均時間は三時間で、二時間から四時間半の間であった。一例を除く全例において、小手術が行われた。気管内挿管と呼吸調整付きの中等度から深い麻酔まで使われた。閉鎖された呼吸系の中に、二酸化炭素が、心臓性不整脈が現れるまで注入された。毒性レベルの二酸化炭素が得られ、かなりの時間維持された。シクロプロパン麻酔の最中、種々な病的心臓性不整脈が多かった。二酸化炭素レベルが正常より上昇している時には、正常であった時よりは心室性不整脈が多かった一例の患者においては、心室性不整脈は九〇分間継続した(この症状は、死に至る細動をもたらすかもしれない)。

      〔実験8〕

      脳循環に必要な最低血流量は、正確には分かっていないので、薬剤投与や姿勢の変化によって引き起こされる動脈圧の急激な低下の前及び低下中の脳の血行動態及び代謝の変化を調べるために、本研究が実施された。正常血圧、本態性高血圧症、さらに悪性高血圧症を含む四四人の患者のうち、一五人の心電図に異常があり、入院の必要性についてはほとんど説明がされていなかった。

      脳循環機能不全が容易に判断できる兆候には、錯乱、ある患者では無反応状態が含まれていた。患者の身体の傾斜を変えることによって、その患者の臨床症状を、ほんの数秒のうちに意識状態から錯乱状態に変えることができた。全例において股動脈カニューレが挿入されており、一四例では内頚静脈にもカニューレが挿入されていた。

      脳虚血症状を伴った三七人の患者では、平均動脈血圧が、水銀柱で一〇九から四八ミリに下がった。虚脱が開始するとともに、心拍量並びに右心室圧が急激に減少した。

      脳循環機能不全の兆候は、冠動脈機能不全の明らかな兆候もなしに起こるので、この研究に従事していた者たちは、急性低血圧に対して、脳は心臓よりも敏感であろうと結論した。

      〔実験9〕

      腹腔内操作によって引き起こされる逆循環反応についての研究である。

      血液循環に予期したような変化を起こすのに必要な効果的な刺激と刺激を与える部位を確かめるために、六八人の患者を開腹して、計画した一連の操作を行った。外科医は、できるだけ慎重に、小さな海綿球で、壁側腹膜と臓側腹膜の限局した部位を摩擦した。それ以外の刺激として、腸間膜を引っ張ったり、腹腔神経叢領域を圧迫したり、胆嚢や胃を引っ張ったり、門脈や大静脈を閉塞させたりした。被験者のうち、三四人は六〇歳またはそれ以上高齢で、一一人は七〇歳またはそれ以上高齢であった。四四人の患者では、中等度から顕著な高血圧が計画的な刺激で起こされた。人為的操作によって惹起された血圧降下は、最高血圧では二〇〇から四二、最低血圧では一〇五から二〇であったが、二六人の平均血圧において降下した血圧の平均値は五三であった。

      被験者五〇人のうち、一七人は心臓の房室結節における結節性リズムを伴う房室解離あるいは結節性リズムのみが起こった。心電図におけるT波の振幅の減少およびSTセグメントの上昇あるいは低下が二五人において、実験操作中や血圧低下あるいは麻酔や手術の経過中のような場合に観察された。ただ一例において、心筋虚血を示唆するに十分な顕著な変化が起こった。被験者のだれにも心筋梗塞は見られなかった。しかし、術後に、潜在性心筋梗塞を診断するために継続的に心電図を取ってはいなかった。術後も心電図を取っていた二例の患者において、T波とSTセグメントに、術前には観察されなかった変化を示した。この実験を行った著者たちは、他の研究者たちの報告を引用して、同じような実験において、もっと警戒を要する心電図の変化を観察しているといっている。それによれば、四人の患者が潜在性心筋梗塞を起こしている。

      〔実験10〕

      スターリングの法則、すなわち「心臓の拍動ごとの排出血量は、心拡張期に心室を充満させる血量と正確に均衡している」という法則について研究するために、弁膜切開の手術を必要とするほど重症な心房細動および僧帽弁狭窄のある三〇人の成人患者を対象として実験を行った。これらのうちの一三人では、左心室の表面に縫いつけられた水銀を充満した抵抗計測器によって、同時に左心室の心筋の長さにおける連続的変化を記録した。これらの一三人と、心筋の長さにおける連続的変化を記録しない他の一三人において、左心室を直接に穿刺して、左、心室内圧を計測した。同様に麻酔なしの四人の患者について、心臓の左側のカテーテル法で検査した。三〇人全員を上腕動脈のカテーテル法で検査した。

      〔実験11〕

      ヒトのヒス束の束枝ブロックにおける心室収縮頻度を研究するために、左右両側心室の同時カテーテル法が二二人で行われ、右心室では通常のカテーテル法が用いられたが、左心室では経気管方式で行われた。患者が開胸術を受けている間に、心筋層が正常な患者の心外膜を軽く叩いて期外収縮を起こさせた。両側の心室への針穿刺により心室内圧を左右同時計測をした。この実験は、心臓生理学の見解を深めるために実施された。

      〔実験12〕

      この実験は、心停止における迷走神経刺激の効果の可能性を調べるために行われた。気管支原性癌における咳と疼痛とを緩和するために、反回神経の起始部のすぐ下方で同側の迷走神経を横に切開した。迷走神経刺激に続いて起こったように思われる心停止についての多くの報告によって印象づけられた本実験の研究者らは、彼らが手術した三〇例の手術中に、胸腔内迷走神経刺激の効果を調べたところ、完全な麻酔の下では、求心遠心迷走神経反射のための心臓の不規則性や心停止は、かつて考えられていたよりも少なかったと結論した。

      〔実験13〕

      本実験は、門脈血流速度と肝静脈血流速度とを調べる方法を示した。この方法には、脾臓への経皮的注射と肝静脈カテーテル法が含まれている。一四人の正常人と種々の程度の肝硬変のある一六人の患者、九人の急性肝炎ならびに溶血性貧血の四人の計四三人について行われた。被験者にどのような情報を開示したかについては述べていないが、被験者の中には、重態な病状になっている人もいた。被験者となった一四人の正常人の場合には、その人たちの治療のためではなく、技法の開発が本実験の目的であった。

    (4)疾病についての理解を向上させるための研究

      〔実験14〕

      肝硬変の患者で今にも肝性昏睡を起こしそうな症状についての研究で、慢性アルコール中毒や進行性肝硬変の九人の患者に、ある種の窒素含有物質を投与したところ、全員に、精神障害を含む反応、羽ばたき振戦や脳波上の変化が発生した。この物質を投与する前に、一人の患者に、同じような症状が現れた。肝硬変の患者に窒素含有物質を投与することは危険であろう。

      〔実験15〕

      経口摂取したアンモニアの作用と肝疾患との関係について、一一人の健常者と六人の急性ウイルス性肝炎、二六人の肝硬変患者ならびに八人のその他の病気の患者たちを対象に実験が行われた。このうちの一〇人に、肝炎あるいは肝硬変に関係のある神経的変調が起こった。肝静脈と腎静脈にカニューレが挿入された。経口的に塩化アンモニアが投与された。その後、一例において、振戦が起こり、三日間続いた。振戦と精神錯乱のある肝硬変患者四人に、経口的に塩化アンモニアを投与したら、検査中、これらの症状は増強された。同様のことが他群に属する五番目の患者にも起こった。

      〔実験16〕

      この実験は、感染症肝炎の感染力期間の決定を目的として実施された。軽症肝炎が施設内で常に流行している精神薄弱児のための施設において、肝炎の人為的発症実験が行われた。子供たちの親からは、ウイルスを筋内注射によりあるいは経口投与する同意は得ているが、それに内在している危険性については、何ら話していなかった。

      世界医師会が採択している決議文によれば、「患者の利益のために強要される厳密な意味での治療あるいは予防以外には、ヒトの身体的あるいは精神的抵抗力を弱めるであろう何事も、医師が行うことは、いかなる事態であっても許されない」と明示してある。他の人々ために、一人の人に危害を加える権利はない。

      〔実験17〕

      癌免疫の研究のために、二二人の被験者に肝癌細胞が注射された。最近の総説によれば、入院患者たちは「ある細胞が注射されるでしょう」と言われただけで、癌という言葉は全く省かれていた。

      〔実験18〕

      黒色腫が娘から彼女の母親に移植された。この母親は、十分に説明を受けた上で自発的に申し出たのであった。癌免疫について少しでも役に立つ学問的解明がえられることを希望し、また癌に対する抗体産生が癌患者の治療に役に立つことを願った。この母親がボランティアを申し出た時には、患者である娘の病状はすでに末期であった。

      その母親に娘の黒色腫が移植されてから二四日目に移植された腫瘍は摘出されたが、母親は、移植後四五一日目に黒色腫の転移で死亡した。

    (5)疾患の技術的研究

      〔実験19〕

      気管支鏡の最中に、特殊の針を気管を通して心臓の右心房に挿入した。この処置は、正常の心臓のある患者に行われたが、人数は特に数えていない。

      この手技は、新しい方法で、その危険性は、初めのころは分かっていなかった。正常の心臓のある患者が使われるのは、正常の心臓のある患者の利益のためではなく、病人全体のためであった。

      〔実験20〕

      報告されたことによれば、心臓の左側へのカテーテルの経皮的方法により七三二例の中で、八例(一・〇九%)の死亡例があり、他の容易ならない事故も起こっていた。それゆえ、新しい方法が必要で、経気管支法が五〇〇例以上実施されているが、死亡例はなかった。

      新しい方法を使うことについて、患者とどれだけ話し合うかという微妙な問題が起こっているが、それにもかかわらず、ある患者にその人の利益になるようにその方法が用いられた場合には、別の理由のために気管支鏡検査が行われていた正常の心臓がある一五人の患者に潜在的には非常に危険な方法を使う場合よりも、倫理的にはあまり問題にならなかった。どの被験者に何を告げたかについては何も言っていないし、被験者となった一五人の健常人からの同意についても何も言っていなかった。

      〔実験21〕

      これは、心臓の拍出量と肺動脈圧に対する運動の影響の研究であり、いわゆる正常人(すなわち、心臓血管系とは無関係な病気の患者)八人、絶対安静を必要とする重症な鬱血性心不全の八人、高血圧症の六人、大動脈弁閉鎖不全の二人、僧帽弁狭窄の七人と肺気腫の五人について実施された。心臓内カテーテルが行われ、それからカテーテルは右あるいは左肺動脈内に挿入された。上腕動脈には通常カテーテルが挿入され、時々、橈骨動脈や股動脈にカテーテルが挿入された。これらの人々は、仰臥位で足を踏ん張って運動をした。これらは、治療目的の試みではなく、むしろ生理学的研究であった。

    (6)一風変わった研究

      〔実験22〕

      輸尿管への尿の逆流は正常の膀胱でも起こるのかという疑問がある。この疑問を考えながら、膀胱尿道造影法を二六人の生後四八時間以内の正常新生児で行った。乳児は、膀胱に尿が溜る間ならびに排尿時にX線照射を受けて、輸尿管への尿の逆流が起こるかどうか、写真を撮った。しかし、輸尿管への尿の逆流は観察されず、また幸運にも、カテーテル挿入で感染も起こらなかった。長時間にわたるX線照射によって何らかの影響があるのかもしれないが、まだ何も言えない。

(六)死亡率についての意見

    前述の症例において、多くの方法が行われ、ある場合には死亡率も示された。その分野での著名な研究者三人が示した資料を次に示すが、それらは広く信じられている見解である。

    〔心臓カテーテル〕

    心臓カテーテルの死亡率は心臓の右側で、一〇〇〇例に約一例であり、左側で一〇〇〇例に五例である。恐らくある部位ではかなり高く、カテーテルの挿入部位によるものであろう。一人の医師は、最初の一五〇例中、一五例が死亡したという。肝静脈あるいは腎静脈のカテーテル法は心臓の右側へのカテーテル法よりも死亡率は低い可能性が高い。それた場合、心房だけがカテーテルを肝臓や腎臓を介して挿入できるので、右心室だと重大な心臓障害を起こす可能性が高いから。しかし、心室にカテーテルが、うっかりしているうちに入り込む可能性は常にあるのである。専門家の一人によれば、少なくとも半分の症例では起こり得るそうであるが、手技さえ適切ならば、一過性のことであり、それほど重要なことではないという。

    〔肝臓生検(バイオプシー)〕

    かなり患者の病状によって違いがあるが、死亡率は一〇〇〇例に二〜三例と推定されている。

    〔麻酔〕

    麻酔による死亡率は、一般に、二〇〇〇例に一例ほどと言えよう。サイクロプロパン吸入麻酔の下で、心室期外収縮の意図的な喚起のよく危険率は高くなる。

(七)出版物

    British Medical Research Councilの見解(一九五三年)によれば、「すべての研究が倫理的態度で実施されているとは保証できない。適正さが遵守されたことを、公表する論文には間違いなく明記しなければならない」という。この見解には、研究者のみならず出版物の編集委員の責任も含まれている。

    そこで、倫理的に不適当に得られた貴重な研究結果についての疑問が起こってくる。筆者の見解によれば、そのような研究成果は公表するべきではないと思われる。この問題をめぐり実際的な面がある。研究成果を公表できなくすれば、非倫理的な研究を思いとて公表されることがないことを知った後で、そのような非倫理的な研究を、どのくらいの研究者がしようとするであろうか。そのような非倫理的な研究成果を出版しないことによって研究をやめさせて生じる医学の損失は、特に限られた意味において、もしこのような研究結果が出版された場合に被る取り返しのつかない医学にとっての倫理的損失に比べれば、重大なものではないと思われる。もちろん、議論する余地はあろう。

    被験者が受けた重大な危険や損害を代償として得られた実際的価値のある研究結果を無駄にしてはならず、編集委員の厳しい意見を付した上で、出版するべきであると信じている人々もいる。しかし、偽善の芳しくない匂いを避けるためには、このような出版をするためには、非凡な才能をもってされなければならないであろう。

(八)要約と結論

    ヒトを対象とした実験への倫理的な取組みには幾つかの要素がある。そのうちの二つの要素は、他のものよりも重要である。

    第一に、インフォームド・コンセントである。インフォームド・コンセントを得る難しさについては詳しく述べている。しかし、道徳的、社会的そして法的な理由から、インフォームド・コンセントのために努力することは本質的に絶対に必要である。同意が得られたということだけではあまり意味がなく、どのようなことが被験者に対して行われるのかについて、被験者あるいはその保護者に理解する能力があり、そして、すべての危険性についてはっきりと説明されていなければならない。もしもこれらのことが知らされていなかった場合には、そのこともまた記載されなければならない。そのような場合でも、被験者は、実験の参加者であることを、少なくとも知っているべきである。

    第二に、聡明な、事情に精通した、良心的で、慈しみの心があり、責任感のある研究者がいることによって、一層信頼のおける安全が保証される。普通の患者たちは、知っていたなら、科学の目的のために自分の健康や生命を危険にさらそうとはしないであろう。経験のあるすべての臨床家の研究者は、このことを知っている。そのような危険が行われる場合で、かつ、かなりの数の被験者が必要な場合には、インフォームド・コンセントを、全員からとらないであろうと想像することができる。

    実験から得られるであろうと予想される利点・利益は、実験に伴う危険と釣り合わなければならない。実験は、その発端において倫理的であるかないかが問題であって、後になって倫理的になるのではない。実験の結果が、実験の目的に達する手段や方法を正当化するわけではない。実験の結果と、実験の手段・方法との間には、倫理的な区別はない。

    実験結果を発表する場合には、適正さが守られていることを、間違いなく明白にしておかなければならない。非倫理的に得られた研究結果を、編集委員の厳しい意見をつけたにしても、発表するべきかどうかについては議論の余地がある。


星野一正
(京都大学名誉教授・日本生命倫理学会初代会長)