時の法令1560号, 61-64,1997年12月30日発行
民主化の法理=医療の場合 39


「オレゴン州尊厳死法」制定後の賛否両論

星野一正


はじめに

一九九七年一一月四日に行われた住民投票の結果、「オレゴン州尊厳死法」は、やっと法制化された。これには、最初の住民投票から三年の年月がたっている(この間の詳細については、本誌一五二六号・一九九六年、一五四二号・一九九七年、を参照されたい)。前回紹介した時点では、住民投票の開票日から法案発効までの一五日間の待機期間が経過していなかった。だが、その後、この待機期間をクリアし、「オレゴン州尊厳死法」は正式に制定された。

本法は、米国で初めての「医師による自殺幇助容認の法律」であり、また、オーストラリア北准州の「終末期患者の権利法」につぐものではあるが、後者はオーストラリア連邦政府の新しい法律によって葬られてしまっているので(本誌一五五四号・一九九七年)、オレゴン州の法律は、現在、世界で唯一の法律なのである。

さて、前回は、「オレゴン州尊厳死法」制定までの経過と法律の内容を紹介した。今回は、本法律をめぐるいろいろな動きを紹介しよう。

オレゴン州の薬剤師の動き

オレゴン州では、患者の自発的な要請により医師が注射などの直接手段で患者の生命を終焉させる「自発的積極的安楽死」や、患者が要請もしないのに「生かしておくのは、かえってかわいそうな目に合わせる」と第三者が思い込んで患者を死に至らしめる「慈悲殺」は、禁じられているのである。オレゴン州尊厳死法は、要約すれば、死にたいと思う患者が自発的に医師に懇請して、致死量の薬物の処方箋を書いてもらうことを法的に容認するにすぎない。処方箋を貰った患者が、その薬物を服用してもしなくても自由であり、処方箋を与えたからといって、医師は患者を死に追いやるわけではない。

そこで、オレゴン州の薬剤師たちは、自殺幇助のための薬剤を販売した際の法的危険を気づかって、自殺幇助のための薬剤の処方箋で薬剤を出すときには「この薬剤は、生命を終焉させる」と明記する決議をした。それに対して、医師らは「悪い前例を作る」と反対している。

法律制定の際の宗教家の動き

ローマカトリック教会や「オレゴン州生きる権利の会」などが、住民投票前に四〇〇万ドルの資金を投入して本法律の制定反対の運動を展開したのに対して、制定賛成者たちは、特定の宗教信仰から賛否を論じるべきではないと主張していた。オレゴン州の住民の教会に通う率は全米で最低に近いといわれており、特にローマカトリック教会に対する宗教的反感があるようである。しかし、反対派の宗教面からの反対運動は、「法案五一」を議会に提出して可決に持ち込んでいった一九九七年九月二日ころまでは、活発であった。

ところが、投票の数週間前から、自殺幇助反対の宗教的発言はほとんど形を潜めてしまい、その代わりに、服薬自殺者が自殺に失敗して苦しみもだえる画像をテレビで流して、自殺幇助反対連動をしたが、あまりのえげつなさに視聴者の顰蹙をかい、有力テレビ局三局が放映を拒否したほどであったという。

法制化賛成票が五一%という過半数ぎりぎりであった一九九四年一一月の第一回の住民投票の際には、今回同様に四〇〇万ドルの資金を投入して反対運動を展開した宗教的反対論による活動は激烈をきわめたものであった。それに比べて、宗教的反対論争が急速に減少するとともに倫理面からの反対意見もほとんどなかった今回の反対連動は、対称的であり印象的であった。このことが、自殺幇助賛成投票が反対票を二〇%も上回った原因であったと分析されている。また、連邦最高裁判所が、住民投票日のわずか三週間前の一〇月一四日に、「オレゴン州尊厳死法」法案を合憲と認めたことも、住民の考えに影響したと考えられている。

他州の動きとしては、次のものがある。

メリーランド州では、最近の州議会において、医師による自殺幇助をめぐり賛成法案と反対法案が提出されたが、いずれの法案に対しても積極的な論争もなく立ち消えている。

バージニア州議会では、法律が制定(一九九八年七月施行)され、自殺者を意図的にあるいは故意に幇助した者に対して一〇万ドル以下の罰金を科すことになった。

さらに連邦では現在、次期司法長官に選出されているMark. L. Early上院議員が提出した法案により、患者の自殺幇助をした医療従事者は医師免許証を剥奪されることになるおそれもでてきた。

そして、聖職者たちの注目すべき意見もみられる。

St. John Vianney Catholic Church の Peter Daly牧師は、自殺幇助の問題は宗教的問題ではないと考えている。Cedar Lane Unitarian Universalist Church の Roger Fritts牧師は、人の死の迎え方は、個人の価値観によって異なり、ある人は長寿を求め、ある人は生命の質(QOL)を尊ぶと述べている。

二年前に、三八歳で予期しない死を迎えた信者の遺言で、彼女の心臓を提供されて心臓移植を受けて健康を回復して活躍している六一歳のSt. Timothy's Episcopal Church の Dalton Downs牧師は、社会には「死の迎え方についての深い理解」がまだまだ必要であるので、自殺幇助の法制化を論じるのは時期尚早であるという。Downs牧師は、目分で心臓移植を受けた経験を通して、心や魂の安らぎを失い、心細く絶望的になって自殺したいと思い込んでしまう人の気持ちも理解できるようになった。さらに、Downs牧師は、すべての人をある一つの宗教の型にはめ込むことはよいことではなく、そして社会や特に宗教界の人々に尋ねたいのは、自殺幇助を法制化するかどうかではなく、いかにして死に行く人の恐怖を指摘して彼らに宿る悪魔を追い払うかということである、そこではじめて人々は死を早めて欲しいと頼むかどうかを判断することができる、それゆえ、自殺幇助を法制化する前に、死についてもっと深く理解することが社会にとって必要なのであると主張している。

オレゴン州の動きに対する国会議員からの反撃

尊厳死法が制定なったオレゴン州では、早速、「人道的で私の尊厳を守る方法で、私の生命を終焉させる医療の要請」という一ぺ-ジの文書が流布されている。

しかし、共和党のOrrin Hatch上院議員とHenry Hyde下院議員は、連邦政府の麻薬取締局に、「自殺幇助の目的で患者に処方箋を与えた医師を厳重に処罰するように」と警告を発して、揺さぶりをかけている。

二人の国会議員の警告を受けて、麻薬取締局は「終末期患者の自殺を幇助するために薬剤を処方した医師は、重い制裁を受けるであろう」と通告した。局長のThomas A. Constantineは、「自殺幇助のために処方箋を書くことは、その薬剤の法的な医療目的ではないので、Control Substance Act違反になるであろう」と言っているが、果たして司法省の支持を得られるかどうかは分からない現状である。

しかし、このような警告を受けたオレゴン州医師会会長のDr. Charles Hofmannは、医師たちに「この問題が解決されるまでは、オレゴン州では法的に認められてはいるが、自殺幇助のための処方箋を書かないように」と警告しているので、当医師会の会員である五七〇〇人の医師に影響を与えている。

このような現状に対して、Ron Wyden上院議員は、元来、医師の自殺幇助に反対であるにもかかわらず、オレゴン州の住民の意思決定を立ち往生させる行為には激怒している。そして、「オレゴン州では、一九九四年と今回の一九九七年の住民投票によって、自殺幇助のための薬剤の処方箋で入手した薬剤を自殺幇助のために使用することを法的に認めたのであるから、現在のControl Substance Actで定めている法的使用目的に一致していると言える」と解釈している。

オレゴン州知事で医師の民主党のDr. John Kitzhaberは、自殺幇助のために薬物を処方した医師に対する制裁は、いかなるものも、Control Substance Actの解釈の誤りの結果であることについて、司法長官のJanet Renoに納得してもらう努力をしている。

長年、自殺幇助に反対意見を持っているクリントン大統領は、オレゴン州の住民投票の結果にづいて発言することを拒否している。Janet Reno司法長官は、司法省の管轄である麻薬取締局は、司法長官の許しをえずに、オレゴン州の新しく制定された法律の調査を始め、勝手に行動していると発言し、一九九七年一二月現在、この件について、慎重に審議中である。連邦最高裁判所の判決では、既述(本誌一五五〇号・一九九七年参照)の通り、「医師による患者の自殺幇助を許容する必要を認めた場合には、その州で自殺幇助を認める法制化をすることを妨げるものではない」と認めている点を忘れてはならない。

今後の成り行きは、Reno司法長官の決断次第で、左右されるであろう。


星野一正
(京都大学名誉教授・日本生命倫理学会初代会長)