時の法令1604号, 58-67,1999年10月30日発行
民主化の法理=医療の場合 59


世界初の心臓移植は、心臓死のドナーからだった
=C・バーナード博士の記録論文=

星野一正


まえがき

    世界で最初の心臓移植手術は、あまりにも有名で周知のことだが、一九六七年一二月三日に、南アフリカのケープタウン市にあるGroote Schuur Hospitalにおいて、外科医のクリッシャン・バーナード博士(Dr.Chritian N. Barnard)によって実施された。しかし、移植された心臓は、心臓死をしたドナーからだったことはあまり知られていない。

    筆者が一九九六年八月上旬にケープタウンを訪れた時には、バーナード博士は、すでに退職されていて直接面接して話をうかがえなかったが、彼が心臓移植をした手術室は、「移植手術室(Transplantation Theater)」という大きな額が入口の上に飾られていて、きちんと保存されていた。

    バーナード博士の手術を契機として、世界の各所で心臓移植への関心が高まり、その翌年、アメリカのハーバード大学医学部の「不可逆的昏睡についての特別委員会」からの報告として、アメリカ医師会誌(Journal of the American Medical Association, vol.6, no.205, p337-340, 8.1968)にに、「死の定義」:「不可逆的昏睡の定義」という論文が発表され、これが世界で初めての「脳死」の医学的判定基準となった。そして、アメリカのスタンフォード大学をはじめ、多くの医療センターで、「脳死ドナーからの心臓移植」が試みられるようになった。その後三〇年、拒絶反応など困難の歴史を乗り越えてきた現在、世界的な心臓移植のメッカといわれるアメリカのスタンフォード大学では、五年生存率が八〇%を超えるという好成績を残している。なお、毎年、心臓移植患者の運動会や色々の催し物が行われ、親睦を図っているという。

    さて、「脳死・心臓移植」ではなく、ドナーの心臓死が確定診断されるや否や心臓を摘出してレシピェントにそれを移植する手術が、どのように行われたか、その時の手術術式等の詳細について、執刀者であるバーナード博士自身が執筆されて、手術が行われたその月の末に発行されたSouth Africa Medical Journal (p.1271-1274, 30. Dec. 1967)に発表されている。この情報の開示の速さは、発表する医師も、それを印刷し出版する側の姿勢とも日本では考えられない状況である。その論文の内容を報告して、人類最初の「死体心臓を用いた心臓移植」を回顧して、検証してみたい。

ヒトの心臓移植

=ケープタウンのGroote Schuur Hospitalで成功裏に実施された手術の中間報告= C.N.Barnard, M.D., Ph.D.

〔まえがき〕

    反復する心筋梗塞で治療が不可能な状態にまで損傷している五四歳の男性の心臓の代わりに、死体からの心臓が、一九六七年一二月三日、成功裏に移植された。

    この成功が、医学医療の世界に驚きを与えたわけではなかった。ここ数十年の間、世界の各地で、心臓外科の究極の目標であるこの手術の成功を確実にするために、免疫学、生化学、外科や他の医学医療分野の専門家たちが、この究極の目的に向かってたゆまぬ努力を重ねて来ていたのだから。

    近年の心臓移植の歴史は、今世紀初めのCarl, A. とGuthrie, C.C. (1905)に始まる。その後の半世紀余にわたる多くの他の才気ある人々の多くの業績、特に、シャムウェイ博士(Shumway)と彼の仲間による非常に貴重な貢献によって、我々の知識は増加し進歩していった。

    これらの研究を背景として、また、患者に対する外科的処置並びに術後のケアの知識に裏づけられた研究室での我々自身の実験を経て、心臓移植が成功する希望をもって実施する時がついにやって来たのだった。

〔手術準備〕

    いかなる治療も不成功に終わるほど重い心臓疾患の患者たちの中から一人の患者が選ばれた。赤血球抗原と類似の白血球抗原に適合する心臓提供ドナーが求められた。

    このドナーは、維持療法をしながら手術室に運ばれ、隣接した手術室にはレシピェントが入室した。ドナーには心肺バイパスのための準備が行われ、同室内に、リンゲルー乳酸塩溶液を入れた酸素供給器を待機させた。レシピエントのいる隣接の手術室には、Dewall-Lillehei pump oxygenatorという酸素供給器を準備した。

〔手術〕

    ドナーの死が、どのような治療をしても、切迫してしまっていることが明らかになるや否や、レシピェントに麻酔をかけ、右鼠興部で伏在静脈と大腿動脈を露出した。伏在静脈には、静脈内輸液のためと監視装置としてカニューレが挿入された。レシピエントの心臓は、正中胸骨切開術によって露出され、心嚢を開き、上大静脈と下大静脈並びに上行大動脈を切断し、木綿性テープで巻いた。レシピェントの心臓を注意深く検査した結果、心臓移植以外には患者のためになる治療法がないことが確かめられた。

    ドナーの心電図が五分間全く活動を示さず、自発呼吸も全くなく、反射も消失して、ドナーの死亡が証明されるや否や、体重一キログラム当たりニミリグラムのへパリンがドナーに静脈注射された。

    直ちに、ドナーの胸部を正中胸骨切開をし、心裏は縦に開いた。カテーテルを酸素供給器の動脈管に接続した後、上行大動脈に挿入し固定した。酸素供給器に静脈血を戻すために、右心房に直径一六分の五インチのカニューレを挿入した。ドナーにはバイパスと冷却を開始した。左心室の心尖部に穴を開け、無緊張な左心室の膨張を防ぐために弱い吸引を行った。流動速度を毎分三・五リットルに調節した。他の病院で腎移植に使うために腎臓を保護する時と同様に、食道中部の温度が摂氏二五度になるまで全身冷却を続けた。

    食道中部の温度が摂氏二五度に達した時に、大動脈カニューレを大動脈弁に向かうように調節した。流動速度を毎分〇・五リットルに減速し、ドナーの心臓の心筋だけが還流されるように大動脈をクロス・クランプでとめた。心臓は、摂氏二八度になるまで冷却した。還流を中止し、心臓を摘出するために、大動脈は腕頭動脈の下で分離し、下大静脈は横隔膜のところで、上大静脈は奇静脈の高さで切断した。左右の肺動脈を分離し、肺動脈を自由に」した。左心房は、四本の肺静脈を分けて自由になった。そして心臓も自由にした。心臓の摘出に二分かかった。

    ドナーの心臓内の静脈カテーテルは、右心房から除去した。心房カニューレ及び左心室の穴は心肺装置から離されたが、心臓で位置していたような場所に残された。心臓は摂氏一〇度のリンゲル—乳酸塩溶液に入れられ、心肺装置に連結されているレシピエントのいる手術室に運ばれた。

    ドナーの心臓の還流は、毎分〇・四リットルの流動速度で再開された。そのために冠状動脈還流ラインに動脈カニューレを接続し、大動脈から空気が抜けて血液が満ちるや否や、冠状動脈が還流するように還流カニューレを遠位で締めた。この手技が行われている間、心臓は持続的に還流されていたが、ドナーの心臓が摘出される間の四分間だけ還流してなかったことになる。

    レシピエントヘの全身的なへパリン投与による凝血防止の後に、心肺バイパスを開始した。流速は、毎分三リットル(体表面積一平方メートルあたり一・八リットル)。動脈血の戻りは右股動脈に挿入した直径五・四ミリの金属製カニューレを用いて行い、ポンプヘの静脈血の戻りは、心房を通って上大静脈と下大静脈に挿入した二本の直径一六分の五インチのカニューレによって行った。右股動脈にカニューレを挿入中に、この動脈が動脈硬化状態であると診断された。七分間のバイパスの後に、動脈側の圧が三〇〇mm/Hgを超えて上昇していた。そこで、巾着縫合で調節されている穿刺状切開を通じて上行大動脈に内径五・六ミリメートルのカニューレを挿入し、動脈側が外されて上行大動脈にカニューレがつけ直されている間だけバイパスを止めた。三分後に、バイパスを再開し、血流は毎分四・ニリットル(体表面積一平方メートルあたり二・五リットル)にまで増量され、患者の食道中部の温度が摂氏三〇度になるまで冷却し続けた。動脈側の圧は一二〇mm/Hgとなった。

    大動脈カニューレの手前で大動脈を交差状鉗子で止めた後で、患者の心臓を摘出した。大動脈は、冠状動脈孔のすぐ上で横断面において切開し、肺動脈は、肺動脈弁のすぐ上で分離した。心室は、冠状溝のできるだけ近くで心房から分離した。心房中隔は、できるだけ心室の近くで分離した。肺静脈孔を取り巻く左心房壁の袖口を残し、また大静脈に続く右心房の部分を残すべく切開を加えた。

〔心臓移植〕

    ドナーの心臓を心膜腔内に入れ、冠状静脈洞血は、ドナーの心臓から心膜嚢内に滴り落ちるままにし、そこからポンプまで吸い上げた。左右の心房の底部には次の下準備をした。四本の肺静脈を取り巻く左心房壁の底部は切除し、右心房の底部は、下大静脈の入口から上大静脈の入口に向かって後方に切開した。ドナーの心臓と吻合する患者の心臓の左心房の部分が大き過ぎたので、その部分には摺壁形成術を施し、患者の左心房の壁は、、心房中隔との境界部の傍で上方及び下方に捲りあげた。

    ドナーの左心房の後壁にある開口部と患者の心臓の左心房壁と中隔とを吻合させることによって、ドナーの左心房を、まず患者の左心房と吻合させた。この手術は、四・〇絹糸の二層の連続縫合によって行った。次いで、右心房が吻合された。吻合場所は、ドナーの右心房の後方開口部と患者の右心房壁残部と心臓中隔である。この全経過で、大静脈カテーテルは、挿入した時の患者の右心房の部位に残しておき、吻合手術中触れなかった。

    ドナーの肺動脈は必要な長さに切断し、レシピェントの肺動脈と五・〇絹糸で二重に連続縫合を行い、ドナーの心臓還流を中止した。ドナーの大動脈を、患者の大動脈に適合するように切断して、四・〇絹糸で二重に連続縫合を行って吻合した。ドナーの左心室は、全過程を通じて通気しておいた。大動脈の鉗子は緩められ、患者の大動脈から心筋に血液が還流するようにした。左心室の尖部を上方に傾けて、心臓の左側から空気が抜け出るようにした。心臓の右側の内部から空気が抜け出るように右心部は縫って止めておいた。

    五〇分間のバイパスの後で、還流液の中に一パイント(約〇・五七リットル)のクエン酸処理をした血液を加え、その後、通常の方法でTHAMとカルシウム並びにヘパリンとを加えたクエン酸処理血液をニパイント、さらにバイパス器に追加した。大動脈吻合が終わってから、二八五分間の心肺バイパス術の全過程後に患者を暖め始め、血流を毎分四・五リットル(体表面積一平方メートルあたり二・七リットル)に増加した。一八四分後、心房内への大静脈カニューレを中止し、上大静脈カテーテルを除去して部分的バイパスを始めた。

    一九六分の全還流期間の後に、食道中部の温度が摂氏三六度、直腸体温が摂氏三一度の時に、三五ジュールのエネルギーをDC細動除去器から心臓に加えた。最初の電気刺激によって良好な協調ある心室収縮の復活に成功した。

    心臓は、心臓結節リズムで一分間に一二〇の速度で拍動した。この段階では、正常体温で七分間そして摂氏二二度で一四分間、冠状動脈還流なしであったし、総時間一一七分の心肺装置による人工的還流をした後であった。

    バイパスを中止する準備として、イソプレナリン塩酸塩の静脈内点滴の開始に当たり、さらに一五分間身体を暖めた。左心室尖部が再び傾斜したので、左心室は空気を除去するために吸引した。左心室の漏れが除かれたので、尖部の開口部は絹糸で巾着縫合で閉じた三分後にバイパスは中止した。

    この段階で、動脈側の圧は六五—五〇㎜/Hg、静脈圧は六㎝/salineであった。心拍動が弱いので、三〇分後にバイパスを再開し二分間継続した。バイパスのポンプの停止時は、体循環血圧が八五—五五㎜/Hg、静脈圧は八㎝/salineであった。一分後に、ポンプを再び始動させ、心拍動をさらに改善するために三分間還流を再開した。バイパスを中止した時、体循環血圧は九五—七〇㎜/Hg、静脈圧は五㎝/salineで心臓収縮状態は改善した。バイパスは、開始してから二二一分後に最終的に中止した。手術中に最低になった食道中部の温度は摂氏二一・五度であった。\

    バイパスの前に投与していたへパリン投与量の一・二五倍に換算した量のプロタミン・サルフェイトを低速静脈内輸液で投与し始めた。止血はうまくいっており、縫合部位のどこにも結紮を必要とするところはなかった。上行大動脈のカニューレは除去され、大動脈は三・〇絹糸による巾着縫合で修復した。レシピェントの心房は切除し縫合した。心膜内の温かい生理的食塩水による洗浄後、size 20Fのプラスチックのカテーテルの周りを巻いたクローム製のカットグットによる連続縫合で閉じた。クローム製のカットグットによる連続縫合で二葉の胸線を縫合し、size 24Fプラスチック製の縦隔排液管を挿入した心分離した胸骨の止血をし、胸骨片を近づけて、ステンレススチール製のワイヤー接合材で間隔をあけて接合した。二分した白線は、単繊維製ナイロンによる断続縫合で閉鎖し、胸骨の表層の軟部組織はクローム製のカットグットで接着した。開胸術による創傷部は、プレイン・カットグットによる皮下組織の縫合と単繊維製ナイロンによる連続縫合を行った。鼠蹊部の傷跡は、ドレイネージなしで、クローム製のカットグット単繊維製ナイロンによる断続縫合で縫合した。

    術後の機械的通気の保護のために、軽鼻気管挿管を用いた。胸部X線診断、心電図、動脈血圧、静脈血圧、排尿量、抹消血流は、すべて検査し、異常はなかった。患者は術後処置病室に戻った。

〔術後ケア〕

患者の術後ケアでは、次のことに集中した。(1)満足すべき心臓の拍出量、(2)移植臓器に対する免疫反応の抑制、(3)感染の予防

(1)心臓の拍出量

    心臓の拍出量については以下のパラメターを監視することによって判断した。

    1. 収縮期血圧を一五分おきに測定
    2. 手術時に装填しておいた下大静脈カニューレによって測定する静脈血圧

    3. 末梢の脈拍及ぴ心電図監視装置による心臓の拍動率とリズム

    4. 触診と視診による末梢脈拍の強さと末梢血流

    5. 二時間おきの排尿量測定と毎日のクレアチン・クリアランステストによる腎機能

    6. 直腸内留置体温計による一五分おきの体温

    7. Astrup法による酸塩基平衡テスト

    8. 最初の数日は毎日二回ずつ、その後一日一回、血清電解質検査

    心拍出量の低下が証明された場合には、酸・塩基バランスや血清電解質における異常を改善するために全力を尽くして治療に当たる。

    適切な心臓機能の維持を、まず、五%デキストローズ水溶液に四〇万分の一の濃度で正確に調整されたイソプレナリン塩酸塩の静脈内注射によって確保する。

    頻脈は、digoxinを用いて、緩徐なジギタリス適用をする。

(2)移植臓器への免疫反応の抑制

    心臓の切迫した拒否反応の何らかの証拠を発見するために、以下のパラメターが研究された。

    1. 血液中の白血球の反応

    2. 心拍出量の低下

    3. 心筋損傷を示すかもしれない血清中の酵素レベルの変化

    4. 心電図のR波の電位の変化

    予想される拒絶反応に対してはステロイドを使用し、手術日に、二四時間に五〇〇ミリグラムのhydrocortisonの静脈内注射と六〇ミリグラムのprednisoneの経口投与で治療した。hydrocortisonは毎日一〇〇ミリグラムずつ減量したが、prednisoneは毎日六〇ミリグラムを続けた。放射線療法科において、心臓に対して局所的に、一回一〇〇radsから始めて、三日目に一OOrads、四日目に八五rads、五日目、七日目、そして九日目に二〇〇radsを照射した。

    当初、一五〇ミリグラムazathioprineを毎日経鼻胃管で投与し、排尿機能が改善されてからは、一日分を二〇〇ミリグラムに増量した。

    拒絶反応の危険性は、一日量二〇〇ミリグラムのprednisoneと二〇〇マイクログラムのactinomycinを三日間投与した。その後、prednisoneの用量は徐々に減量した。

(3)感染の予防

    患者の環境を完全に無菌状態にすることは不可能であるので、次のような予防法を使用した。

    ①手術前の期間

    〔患者〕患者は毎日hexachlorophene soapで洗った。皮膚、鼻、咽頭、口腔及ぴ直腸から綿棒などで集めた材料を採取して、感染の危険性のある病原体、pseudomonas aeruginosaoなどの酵母、kebsiella species, betahaemolytic streptococciやstaphilococciは特に検査した。これらの病原体の抗生物質に対する感受性については、可能な限り行った。明らかな感染部位に対しては、徹底的な治療を行った。

    〔医療従事者〕患者を世話をする看護婦や医師たちに対しては、手術後の細菌学的検査のため、鼻、口腔、咽頭、直腸の綿棒などにより検査物を採取した。

    〔部屋〕部門内に一室を準備して、その部屋は次の方法で徹底的に清潔にした。

    1. 細菌学的な処置によりガス状の消毒

    2. 熱湯消毒をした道具を用いて、フェノール系の消毒薬によってすべての壁も床も徹底的に消毒する。

    3. 正確に希釈したフェノール系の消毒薬をたっぷり使って、ベッドを徹底的に洗う。

    4. マットレスはオートクレイプで消毒してからプラスチックの袋に入れ、枕もオートクレイプで消毒する。

    5. 適当に希釈した石炭酸系の消毒薬で一日に三回、洗面器を消毒する。

    6. 器具:患者の近くで又は患者に使用した器具はすべて、注意深く清潔さを検査すること。特に酸素テント、吸引器やBird respiratorに対して注意が必要である。この器具は、できるだけ完全に分解して機械的に徹底的に洗浄し、オートクレィプあるいは煮沸で消毒できる部品は、そうするべきである。オートクレイプあるいは煮沸で消毒できない部品は、気体消毒あるいはフェノール系の消毒剤で消毒するべきである。特に注意しなければならないものは、加湿器である。加湿器内の水は毎日変えて、水を入れている容器は毎日、使用の前後に煮沸消毒しなければならない。

    ②術後期間

    患者は特別に準備された病室に移される。術後患者の担当者はすべて縁なし帽子をかぶり、マスクをし、ズック製のオーバーシューズをはき、滅菌手袋をはめてすべての無菌処置をしなければならない。患者へどのような世話をした後でも、手袋をはめていた手は、ヨーソ系の消毒剤でよく洗わなければならないし、使い捨てのペーパータオルでよく拭いて乾かさなければならない。

    患者のシーツや木綿製のブランケットを毎日二回交換しなければならないが、交換する時に、回りの空気を乱して挨を立てないようにしなければならない。床は、毎日、フェノール系の消毒剤でモップをかけなければならない。病人用の便器と尿器は、フェノール系の消毒剤につけておき、使用前に熱いお湯でゆすいでから乾かさなければならない。

    さらに、次のような注意が必要である。

    〔患者について〕隔日に、細菌学的検査のための綿棒を用いて、患者の鼻、咽頭、口腔と肛門から、病原体の可能性のあるものの存在や細菌叢における変化を調べるために検査材料を集めなければならない。

    すべての静脈穿刺、静脈内治療の部位や注射部位は、滅菌外科手術と同様に取り扱わなければならない。毎日、血液培養が行われる。会陰部や陰嚢部には、注意深い観察が必要である。これらの部位には、毎日、hexachloropheneとMycostatin粉末の振り掛けをすべきである。

    〔医療従事者について〕毎週一回、細菌学的検査のために、綿棒を用いて、医療従事者の鼻、咽頭、口腔と直腸から検査材料を集めなければならない。必要があった時には、抗生物質による治療が行われた。

    また、かつて大手術を受けた糖尿病のある医療従事者には、尿中の糖とケトン体の検査をしばしば行い、その程度に応じて、インシュリン量を調節して、糖尿病対策を行った。これについては、何ら特別な問題は起こらなかった。

〔むすび〕世界で最初の心臓移植手術について記述した。この手術が実施に至った段階について、簡単に述べ、手術術式については詳述した。この手術の成功後の患者の術後ケアについても記述した。一九編の参考論文を紹介する。 〔星野訳〕

おわりに

    =脳死の臨床での認識の経緯=

    従来は、死の診断は、三徴候説(脳・心臓・肺)の下で困難はなかった。しかし、生命維持装置によって拍動や呼吸が継続されるようになり、死の診断は難しくなった。その上、生命維持装置を適用されている患者に、『脳死』という従来は存在しなかった『見えない死』が起こるようになり、死の診断は一層難しくなった。

    『見えない死』であるだけに、一般大衆にとって「脳死を人の死と認めること」は並大抵なことではなかった。わが国においては、脳死を人の死と認められない人がまだまだ多い現状である。

    一九世紀の末ごろに、呼吸が停止した後までしばらく心臓が動き続けていることが報告されていたが、その後、半世紀の間、そのような特異な死亡に関する報告は見当たらない。

    人工呼吸器が付けられた昏睡患者に、通常の昏睡の症状を超えて、低体温、昇圧剤に反応しない低血圧、尿崩症や無呼吸などがでたことが医学雑誌に記載された(Mollaret, P., Goulon,M."Le coma depasse"Rev. Neurol. 1959:3)。「超昏睡」と称されたこれらの症状は、脳幹死に見られる症状に相当するものであったので、脳死とは言わなかったにしても、そのような症状が死の境にある末期患者に認められていたのであった。

    イギリスでは、一九六〇年に「脳幹機能が消失すれぱ死んだものと考える」ということが医療訴訟における公式陳述にあったと言われている。もしこの情報が正しければ、脳幹死という医学的観念が裁判所で初めて発表されたことになる。

    わが国で、時々書物などに記載されたり述べられたりしている「脳死は臓器移植のために医師が作りあげた死である」という主張には全く根拠がない。

    しかも、一九六七年に世界で最初にヒトにおいて行われた心臓移植は、脳死者からの移植ではなかったことについては、本論文で詳細に報告している通りである。

    心臓疾患患者のための心臓移植についての理解のために、本論文が少しでも、役に立てば幸いである。


星野一正
(京都大学名誉教授・日本生命倫理学会初代会長)