しかし、生後数ヵ月後に実施する割礼手術では、麻酔下で電気焼却器(electrocautery)を使用して包皮を切除する際に、過って陰茎を切断(amputation of penis)してしまうという医療過誤事件が起こっているのである。
過って陰茎を切断した場合には、緊急止血処理後に尿道を確保しておき、陰茎再建手術(phalloplasty)を行って男児として育てる場合と、男性生殖器を形成手術によって女性生殖器に改造し、更に精巣を摘出し、性別再指定手術(sex-reassignment surgery:SRS)により性転換をして女児として育てる場合とがある。
両者間の患者に与える影響やその良否をめぐる理論的論争、特にジャァン・マネー博士(Dr. Joan Money)とミルトン・ダイヤモンド博士(Dr. Milton Diamond)との間の長年にわたる大論争が有名であり、注目されてきている。
しかし、男子の場合には、陰茎包皮(foreskin of penis)の先端部分切除だけであるので、十分に注意して実施すれば、同じような手術が、割礼のためではなくて包茎(phimosis)の治療にも用いられている。
ちなみに、筆者は女子の割礼手術は実施したことはないが、現在でも世界の各地で行われている。女子の割礼は、男子の割礼とは異なり、女性の生理や性行為にも多大の好ましくない影響を及ぼすので、女性の権利や健康問題から、世界医師会でも問題視しており、女子の割礼中止の勧告を出しているほど社会問題となっている(本誌一六〇八号六九—七七ぺージ参照)。
陰茎切断による医療過誤事件の中で最も有名なのは、一九六六年にカナダの病院で起こった仮名ジャァン・ジョォーン(John・Joan)事件であるが、このほかにも数件報告されている。
米国ジョージア州アトランタ市(Atlanta, Georgia)のノースサイド病院(Northside Hospital)において、正常分娩で出生した健康男子新生児の二人が、一九八五年の同じ月に、割礼手術の際の電気焼却器の使用過誤により、陰茎にひどい傷害を受けた。
一人の男子新生児は、陰茎切断後数回にわたり陰茎再建術を繰り返し受けて、男児として成長した。一方、陰茎根部で陰茎が切断されてしまったもう一人の男子新生児の場合には、性別再指定手術を受けて、女児として育てられた。
後者の性転換をして女子として成長した患者については、秘密保持のため、その後のことは分からない。裁判所の記録では、この子はベービー・ドウ(Baby Doe)と記録されているだけである。., 陰茎再建術を受けた男子は、元気に成長しており、彼の両親は病院から二二八○万ドルの和解金を得て、この医療過誤事件は解決している。
(2)コロンビアの事例
コロンビアのメドリン(Medelin, Columbia)の大学病院の小児泌尿器科主任オチョア医師(Dr. Bernardo Ochoa)によれば、怪我で陰茎を失った男子乳児が去勢された後に、女性生殖器への改造手術並びにホルモン療法を受け、家族も患児とともに心理療法並びに社会的支援を受けた。ところが、この子が一四年後に、「自分は女の子とは思えないので、男の子に変えて欲しい」と訴えたと報告している。
カナダ・マニトバ州の州議事堂のあるウイナペッグ市において、本名をブルース・ライマー(Bruce Reimer)という生後八カ月の男の子が、自分が生まれたセント・ボニファス病院(St. Boniface Hospital)で割礼手術を受けるために入院した。一九六六年四月二七日に予定されていた手術を担当することになっていた医師が来られず、専門医ではない四六歳の一般開業医(General Practitioner)の女医、ヒュオット医師(Dr. Jean-Marie Huot)が代理執刀医となって手術を行うことになった。
ナースが手術予定の数人の患児を一人ずつ病棟のべービーベットから連れて来ることになった時に、ナースは、最初にブルースを抱き上げて手術場に連れてきた。これは全くの偶然であった。
新生児でないブルースには麻酔なしで手術はできないので、麻酔医のマッグス・チャム(Max Cham)が、ブルースに麻酔をかけた。ヒュオット医師は、慎重に適切な器具を選び、電気焼却器の調子も慎重に検査を繰り返しながら手術に入ったにもかかわらず、電気焼却器の電気のスィッチを入れた途端に予想もしなかった多量の電流が流れて、ブルースの陰茎が切断され、一大事となった。
直ちに泌尿器科の専門医アール・ヴァン医師(Dr. Earl Vann)が手術場に入室した。手術した領域を注意深く診察した後で、尿道の断端からゾンデを尿道内に挿入して膀胱に通じるかどうかを検査したところ、尿道は既に閉塞してしまっていた。そこでヴァン医師は、恥骨上膀胱切開術(suprapubic cystotomy)を実施して、膀胱からカテーテルを通じて尿が排出するように準備した。
ブルースの双子の兄弟のブライアン(Brian)もやはりその日に割礼を受けるはずであったが、彼の割礼手術は中止された。セント・ボニファス病院は、ウイナペッグ市内にある大病院の一つであり、現在でもマニトバ大学医学部研修病院に指定されている病院である。
実は筆者は、北米生活を切り上げて帰国するために一九七七年の夏にウイナペッグを去るまで、マニトバ大学医学部教授兼歯学部教授として教育・研究に従事していたので、通勤する時に毎日、セント・ボニファス病院の前を通っていた。そのようなことで、筆者にはこの事件が非常に身近かに感じられたので、情報を集めた。
ライマー(Reimer)家の双子の父親のロン(Ron)と母親のジャネット(Janet)の、それぞれの家系はいずれも、マニトバ州に大量移民してきたメノナイト(Mennonite)派に属する家族であり、メノナイト派同士の恋愛結婚であった。
筆者の身内に、ウイナペッグ市内でメノナイトの男性と結婚して家庭をもっている者がいるので、ライマー家と親戚関係にあるのかどうか問い合わせたが、特に近い血縁関係はないとのことであった。しかし、同族であるので、ライマー家のことはよく知っていた。
メノナイトは、一六世紀にオランダで創始された再洗礼派教徒(Anabaptist)の活動に始まり、Mennon Simonsから命名されたキリスト教信者の一派である。
オランダから、ドイツ、フランス、スイス、ロシアなどに広がっていたが、さらに北米に渡り、アメリカ、力ナダ西部やメキシコに定住するようになった。カナダ西部の交通の中心地であるウイナペッグを中心としてマニトバ州南部に多くのメノナイトが定住している。
ライマー家は、オランダのメノナイト派が移動してロシアに定住していた人々が、マニトバ州南部に移民してきた時以来の家系と考えられているようである。
〔性別再指定手術の実施〕
ブルース・ライマーは、アメリカ・バルチモアー(Baltimore)のジャァン・ホプキンス病院(John Hopkins Hospital)に連れて行かれて診察を受けた上で、ジャァン・マネー博士の方針に従った両親の判断で、自分では何も分からないまま、自分の男性外陰部を女性外陰部の形態に形成手術をされ、名前もブレンダ(Brenda)と名づけられて、女の子として育てられた。
手術後のブレンダの個人的なことについては一切秘密が守られていたので、長年にわたり、ブレンダのことについては仮名でのみ報告されていた。しかし、ジャァン・マネー博士の方針に特に反対意見をもって論文を発表していたハワイ大学教授のミルトン・ダイヤモンド博士と彼の共同研究者であるキース・シグムンドソン博士(Dr. Keith Sigmundson)が使っていた仮名の「ジャァン・ジョォーン(John・Joan)」は有名であった。ちなみに、シグムンドソン博士は、カナダ・ブリティシュ・コロンビア州の州議事堂のあるビクトリア市の精神科医で、ジャァン・ジョォーンの精神的なケアに協力していた。
正常な男性の外陰部が、手術によって、女性の形態の外陰部に作り替えられ、普通の男の子だった子供を女の子として育てようとしたのは、ジャァン・ジョォーンのケースが医学史上最初のケースであっただけに、医学界はもちろん社会的にも注目されたのであった。
さて、女の子ブレンダとして育てられてきた間も、女の子であることに不満と抵抗を感じることが多かったブレンダは、一九七六年、一一歳の時に、精神的ケアをシグムンドソン博士にしてもらうようになった。シグムンドソン博士は、あまりにも女らしくないブレンダの仕草などに驚いた。そこで、彼は、ジャァン・マネー博士の論文を丁寧に読み直し、彼の学説に疑いを抱いた。
〔再度の性別再指定手術〕
一方、ブレンダは、悩みに悩んだ挙げ句、遂に一四歳の時に男の子として生活する決心をして、実行に移した。
ブレンダは、今度は自分の意思で性別再指定手術を受けて男性外生殖器を取り戻し、乳房切除術も受けて男性らしくなり、男性ホルモン療法も行って男性化に努力した。彼は、洗礼を受けて、名前もブレンダから男性名のデイビツド(David)に変更して、社会的にも男性として生活を始めた。
二五歳の一九九〇年九月二二日に、デイビットは、ジェーン(Jane)と結婚式を挙げた。デイビットは、彼の過去のすべてをジェーンに話した時に、彼自身の子供はできないことも含めてジェーンがすべてを理解し、自分を暖かく受け入れてくれたので、ジェーンの愛情を信じて結婚に踏み切ったのであった。
マネー博士の学説に対して、ダイヤモンド博士らは、真っ向うから反対しており、「胎児の段階から、脳の性差の変化は始まっているのであって、出生時には中性であって出生後に外陰部の外観の影響などで性的認識が育つものではないから、本人の性自認が認識され自己決定できるようになるまでは、外生殖器の手術をするべきではない」と、本人の自己決定権の尊重が大切であると、倫理的にも医学的にも主張してきている(この点について多数の論文があるが、総説としてDr. M. DiamondとDr. K. Sigmundsonによる論文のArch. Pediatr. Adoles. Med. 151: March, 1997を参照されたい)。
デイビッド・ライマーが、女の子ブレンダとして、どのように悩み苦しみ、少女らしくなく暴れたりしたかを本当に理解するには、マネー学説を信じることではなくて、ブレンダ自身の感じているQOLを理解するべくまわりの大人たちが努力するべきであった。
女の子として行動しなければならないこと自体に苦しんで、女の子らしくない言動をしたり、ときには男の子のように振る舞ったり暴れたりするのを、単に批判され、怒られていたので、ブレンダは、物心がついて我慢の限界にきた一四歳の時に、男の子に戻る決心をしたのであった。子供ながらによくぞ、ブレンダは無意識で強く自己決定権を主張して、女装をやめたものであった。
ジャァン・マネー博士は、確立された学説でもない自分の仮説を、何ら実験的裏付けもなく、初めから乳児のブルース・ライマーに適用したので、これは同意(consent)を与える能力のない者に(本人の同意なしで)実施した予備実験も対照実験もない人体実験に相当する無謀な行為であったといえる。
一九六六年という年には、当時このような人体実験とか非人道的な医療行為が行われていたのを憂いたハーバード大学医学部のヘンリー・ビーチャー(Henry Beecher)教授が、そのような事例を集めて、ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに論文を発表した年であるので、筆者の記憶に間違いはないと信じている(本誌一五六八号五三-六七ぺージ参照)。この論文が発表されてから、米国政府は、ヒトを対象とした実験的医療行為を行う前に、施設内審査委員会(Institutional Review Board: IRB)を設置して、審査するべきであると定めたのであった(拙著『医療の倫理』岩波新書二〇一ページ参照)。
インフォームド・コンセントが必須となった現在であったら、マネー教授のこのようなヒトにおける入体実験的な医療行為は、施設内審査委員会はもちろん、病院倫理委員会でも承認されるはずはなく、実施されなかったに違いない。.
正常に生まれてきた男の赤ん坊の陰茎が医療過誤により切断されてしまった後に、女の子への性転換の手術について医師や親などを含む他者の判断により決定してしまった。しかし、このような場合には、被害者本人が成長して、自己の性自認が確立した上で、その時の本人の自己決定によって選択できるようにしておくべきであろうと思われる。
バイオエシックスは、悩む人々のQOL、すなわち生命の質、生活の質、生き方の質や生き甲斐を向上させるには、どうしたらよいのかを考える学問ではあるが、当事者自身の悩みや苦しみを、体験したことのない他人が、勝手に想像したり、自分の価値観で割り切ったりした上で、何のかんのと指示することは、誠に慎まなければならないことである。
本人のQOLは、本人しか分からないものであり、本人以外の者が親であろうと専門医であろうとだれであろうとも、本人になり代わって、本人のQOLを判断するべきではないし、判断できると思い上がってはならない。
本人自身がQOLの判断ができるように成長した場合に、本人の意思に基づいて、性転換手術するかどうかについて意見を求められた場合に限って相談に乗るべきである。
その場合にも、第三者がどうすべきだと本人に指示を与えるべきではなく、尋ねられた時に意見を言うだけにとどめるべきである。相談されたからといって、自分の意見を聞き入れるように説得したり命令することは、意見を求め尋ねた人への干渉となり、本人の自己決定権の侵害になるので、するべきことではないと思われる。