キヴォーキアンは、ミシガン州の警察や検察官との激しいやり取りをくぐり抜け、乗り越えながら、「自分のやっていることは、終末期患者あるいは治療法もなく苦しんでいる難病患者たちの『死にたい。だけど自殺する手段もその力もない』という切なる訴えを良く聞いてあげ、望みを遂げさせてあげる善行をしているのだ」と信じて、マーシトロンを希望者に使わせて多数の患者たちの自殺を封巾助し続けたのであった(拙稿:本誌一五六二号)。
キヴォーキアンの言動について非常に関心を持っていたので、筆者は、できるだけ詳しく情報を収集して、上記三編の論文を発表してきたが、キヴォーキアンが一九九一年に米国で、"Prescription Medicide : The Goodness of Planned Death"と題する本を出版していたことには、気がつかなかった。最近、松田和也氏の翻訳になる『死を処方する』という青土社発行の書物を偶然に書店で見つけて、キヴォーキアンが言いたかったことを詳しく読む機会に恵まれた。そして、筆者の既報の情報に誤りがないことを確かめることができた。とともに、三編の自著論文で紹介していなかったことまで確認できた。
キヴォーキアンが自己の刑罰を覚悟の上で活動し続けた彼の情熱の背景にも、前著では論文の長さの制限で書けなかった内容をも加えて、更に詳しく触れておく。松田和也氏の訳書『死を処方する』から、情報の確認を頂いた箇所には、出典のぺージ数を書き添えて、引用させていただいた謝意を表したい。
一九八九年七月号の「タイスム」誌によると、わずか一週間の間に、米国で「銃による自殺」だけで四六四件あり、終末期の重病あるいは肢体不自由などによる極度のQOLの低下に耐えられず「銃による自殺」をした人が四六人もいたという(一九一ぺージ)。
これには驚樗した。銃による自殺ができる患者にとっては、狙いさえ外さなければ、瞬間的な苦しみのうちに死ねる自殺法に違いない。自殺を犯罪として禁じている法律がどこにもない現在、銃規制の緩やかな米国では、「銃による自殺」が可能なはずである。しかし、銃を自分で使って自殺する体力がなかったり、銃を使ったことすらない患者の場合を含めて、銃が手の届くところにない終末期の患者には、「銃による自殺」は役に立たない。
「銃による自殺」の場合に似て瞬間的な苦しみだけで、しかも死に様が惨めでなくきれいで、患者が尊厳のある死を迎えられる自殺の方法として、キヴォーキアンは、マーシトロンを開発した(本誌一五二〇号)。
マーシトロンで自殺する際の器具の操作は患者自身でできるが、自殺できるようにマーシトロンに薬液を入れたり、静脈注射のための注射針を血管内に刺して固定することは、医師か看護職にしてもらわなければならない。この行為は、自殺教唆・自殺幇助罪があれば、その罪に該当する。しかし、キヴォーキアンが、「マーシトロン」を患者に提供して自殺を幇助し出した当時には、ミシガン州には、何ら法的規制がなかったので、警官も警察官も、キヴォーキアンの行為を苦々しく思いながら、放任せざるを得なかったのであった(本誌一五六二号)。
体力も気力も弱ってしまっている終末期の人たちを考えるとき、また、断末魔の苦しみに自殺したくてもできずに、死を前にして衰え続ける自分のQOLと病魔による自己の尊厳の侵害を嘆き苦しんでいる患者がどれほどいるかに思いを馳せるとき、筆者はそのような末期患者に同情を禁じ得ず、その当時のキヴォーキアンの焦燥感が理解できるように思えてならない。
キヴォーキアンは、自著の中で「この一週間の銃による自殺者数から類推すると、年間では二千人以上の終末期患者が、病苦に耐えられず自殺してい.ることになる。そして医学会は、そのようなことを全く気にしていない」と批判している(二九二ぺージ)。
この「マーシトロン」第一号は、一九九〇年六月四日の午後、ジャネット・アドキンス夫人に使われている。
「マーシトロン」の完成後、キヴォーキアンは地元のTV局の夜のニュースで紹介され、かなり有名になったが反応はなかった。しばらくして肺癌で余命幾ばくもない中年男性患者から連絡があった。すでに化学療法も効果がない状態で、彼は、「自分の意志がはっきりしている間に死にたい」と思い続けていたので、「マーシトロン」の使用を希望した。しかし、実施前に、この患者は、生気を失い、支離滅裂なことを眩くようになり、「インフォームド・コンセントをした上で、知的精神的判断能力のある患者にしか使わせない」というキヴォーキアンの基本条件から外れてしまい、「マーシトロン」使用第一号患者になれなかった。
一九八九年一〇月に「オークランド・ブレス」が、キヴォーキアンの写真入りの紹介記事を掲載した。その直後、「デトロイト・ニュース」が写真入りのインタヴュー記事を掲載し、それが通信社を通じて他州へも広く配信された。読者の反応は非常に好意的で、地元や他の州の患者から救いを求める嘆願が多数寄せられた。しかし、それらの州のほとんどは、自殺封巾助に対して懲役刑を科していたので、実行は不可能であった。
嘆願してきた患者の中の一人は、デトロイト近郊に住む多発性硬化症のため、過去一五年、日ごとに動作が制限され、今では常にだれかの介添えがなければ、日常生活のほんの些細な行動すらできなくなった四五歳の女性であった。娘が二一歳となって独り立ちすべき時となったので、自殺する決意を固めたのだという。この患者のかかりつけの神経科医のオフィスで患者とその娘さんとキヴォーキアンの四人が落ち合って話をしている間に、最初陰気な顔つきをしていた患者が次第に穏やかになっていったのが印象的であったという。キヴォーキアンは、この患者に「私はいつでもあなたの苦境を終わらせる手伝いをして上げられます。たとえだれが何と言おうとも、あなたの決意はあなただけのものなのですよ」と断言した。この患者は、急いで行動に移る必要はなかった。彼女の気持ちは、医師の介助つきの合法的な自殺という選択肢が提供されたことで、平安を取り戻したようであった。
最後の手段としてマーシトロンが使用できるという安堵感から、死を急ぐ気持ちが薄れて「もう少し闘病を続けてみよう」と決意した患者たちが、ほかにも多くいたのであった。
「人道的にして尊厳ある、そして容易に手にし得る自殺の方法が確保できたという安心感をもてば、自殺したいと思い込むほどであった患者の心は、自然に落ち着きを取り戻して、自殺という過激な行動に走る心を抑えることができるのである」とキヴォーキアンは確信した(二九九ぺージ)。
これと同じような事実がある。自殺をいつでもしたい時にできるようにと、医師から致死薬を貰っていたエイズの末期でのたうち回っていた患者が、「この致死薬は内服したいときにはいつでも飲めるのだ。もし急いで飲んでしまった後で、エイズを治す新しい治療法が発表されたら、とんでもないことになる」と思い込んで、せっかく入手した致死薬を内服しないまま、苦しみ抜いて他界した(拙著:本誌一五四八号)。
血液循環説で有名なウイリアム・ハーヴェイは、痛風の激痛に耐えられず、睡眠薬を服用して自ら死を迎えたといわれている(Clergymen and Doctor by Nimmo, W.P., P.37, J.B. Lippincott)。また、心臓が悪くて胸痛に悩まされていたマーク・トウエンは、ニューヨークヘ向かう船の上で、同船していた友人に頼んで、他界させてもらったという(The Detroit News : November 10, 1988)。フロイトは、顎癌のため、頻回に手術を受け、激しい疼痛に長年苦しんだ挙げ句、過量のモルヒネを服用して眠ったまま他界した(Cant, G.: Deciding when death is better then life. Time: 37, July 16, 1973)。
キヴォーキアンは、以上のような情報を提供し、これら症例に対して倫理にもとるという公式の非難を受けたという話を知らない、と述べている(二五九ぺージ)。
キヴォーキアンは、「『死の権利』などというものは存在しない。あるのは、自分が、いつ、どのように死ぬかを選択する権利である」と述べており(二七五ぺージ)、「死の迎え方の選択権」を主張している筆者らと同じ考え方をしている。
ミシガン州に戻ったキヴォーキアンは、オランダで学んだことを参考にして、末期患者の自殺を介助するという危険な道に足を踏み入れることを決意した。しかし、安楽死に関与して殺人罪に問われるようなことまでしようとは考えてもいなかった。ただ、単に自殺を介助するだけであれば、その危険は少ない。そして、それは法律の浄化にも役立つだろう、と考えていた(二六三ぺージ)。
キヴォーキアンは、オランダの安楽死推進派の人々のように、自分の患者たちと自殺について徹底的に話し合った上で、最終手段として手を貸すことしかしないつもりであった(二六五ぺージ)。
しかし、最後に、キヴォーキアンが有罪になったのは、彼の敗北ではなく、意図的な挑戦であった。彼を支え続けてくれた弁護士にも相談せずに、覚悟の上で、実施した結果である。
彼は、筋萎縮性側索硬化症(ALS、アミトロ)の末期患者ヨウク氏に、マーシトロンを使わせずに、積極的安楽死を実施する決心をしたのである。のみならずCBSに依頼して、彼の実施する情景をすべてテレビ撮影をし、六〇分のビデオで全米に放映してもらった。
実は、ヨウク氏は、ALSの病状が進行し過ぎていて、マーシトロンを自分で操作することも不可能な末期の段階にきてしまっていた。自殺幇助を求めて苦しみ抜いている状態にキヴォーキアンは、医師としての責務を感じ、マーシトロンですら救えない患者が、苦しんで自分に助けを求めてきている今、「これしか道は残されていないのだ」ということを、全米のCBSの視聴者に訴える道を選んだのであった。
自分は積極的安楽死の罪を負っても、自分にすがってくる断末魔の患者に患者自身が求める尊厳ある安らかな死を迎えさせてあげるのだ、と人々に訴える覚悟を固めて、親愛なる敏腕弁護士にも助けを求めず、最後の患者の救済をしたのであった。
キヴォーキアンを憎んでやまなかったジェシカ・クーパー裁判官は、ヨウク氏殺害により第二級殺人罪で一〇年から二五年の刑務所並びに統制薬品の使用の罪により三年から七年の刑の判決を下したのであった。そして、一切の保釈を拒絶した。
その上、「キヴォーキアンの法律に対する侮辱行為は、検察官並びに法廷をして、彼を社会から除去する以外の選択肢を与えなかった。その結果、ミシガン州では、体制にとって長年の間不法妨害の邪魔者であったキヴォーキーアンを始末することができた」という感情的な発言すらしている。
何回となくキヴォーキアンを無罪放免しなければならなかった裁判での敗北を恨み、法律しか考えられず感情的になっていた裁判官には、ALSの末期の患者の断末魔の苦しみや、生きていることの辛い気持ちなどを思いやる心のゆとりがなかったのではないかと勘ぐりたくなる発言としか思われない。クーパー裁判官は、自分をヨウク氏の立場において、真剣に考えてみたのであろうか。
マーシトロンを自分で操作して自殺できる患者は、ヨウク氏よりも恵まれているとさえ思われ、ヨウク氏のような場合に、どのようにしてあげるのがよいのか、真剣に考えなければならないと思われる。
ターミナル・セデーションで目を覚ますことなく事切れる患者は、家族などから「苦しまずに死ねてよかった」と思われることが多いが、医学的・法律的には、実際は「過量の投薬による患者の死亡」という医療過誤行為と紙一重の場合も多いので、間接的安楽死とどれほど違うのかも、真剣に考えるべきだと思われる。
ヨウク氏の場合に、キヴォーキアンは、ヨウク氏の自宅で、間接的安楽死をさせておれば、処罰されなかったのではないであろうか。しかし、それでは、キヴォーキアンの真の目的は達成されなかったに違いない。