初めてのWEBサーバの構築とアクセス件数

1995-1996年


FOLIO VIEWSを使って作成したJCRB細胞バンクホームページ

これは初期の頃の Folio Views を使用したJCRB細胞バンクホームページの画面である。ホームページは便利そうだと理解できたが、どのように作るのか技術的に未熟だった時期であった。そのためいろいろと思考錯誤をしていた。この画面は1999年まで使用していた Folio Views というソフトウエアを使用して作成したトップページの画面である。当時、インターネットの運用方法についてまだ十分に理解をしていなかった段階での実用化の試みであったので、アシストしてくれるソフトウエアとして大変便利であった。

実は Folio Views というソフトウエアは、培養細胞の電子カタログを作成するのに最適だと ATCC の情報担当者から教えられたことがきっかけで使い始めたソフトウエアだった。これを利用して、フロッピーディスクカタログの作成を試みたが、当時はまだコンピュータはそれほど普及しておらず、配布数は年間でも二桁程度の配布数であった。しかし、この Folio Views は、その後のインターネットの登場に伴って WEBページ作成用のCGIプログラムに変貌を遂げた。従って、JCRB細胞バンクでは自然に、これを使ってホームページの作成を試みることとなり、暫くこのスタイルのホームページを公開することとなった。

興味深いことに、Folio Views でのホームページの作成法はHTMLに良く似ており、結果的に HTML の書き方を習得することが出来た。

バンク事業としては対がん10ヵ年総合戦略が終了して、1995年から分譲業務がヒューマンサイエンス研究資源バンクに移管された。


JCRB細胞バンクWEBサイトへの初期の頃のアクセス件数  
1995年-1996年

コンピュータネットワークの利用が一般化し始めたのが 1995年頃では無かったかと思う。細胞バンクでは1990年ごろから既に研究室内にLANを設置していたがコンピュータ同士の接続には現在のようなモジュラーケーブルではなくBNCケーブルを使っていたし、外部へ出る回線にも接続されていなかった。1995年になって研究所は外部のネットワークに接続してインターネット環境を整備する方針を決定し、インターネットの利用が可能になった。初期にはどのネットワークに接続するのが良いかというような議論があったように記憶している。

比較的早い時期に組織としてインターネットに接続する環境を整え始め、WWWが使えるようになったが、この時期、ホームページの利用については世界全体がまだ思考錯誤の段階であったように記憶している。細胞バンクでも、これをどのように使うか戸惑はあったが、省力化に役立ちそうだという強い印象を持った。しかし、当時はまだアクセス件数の集計方法についても方針が決まらないままログファイルを見ながら手作業で取っていた。グラフを作成するソフトウエアもまだまだプリミティブな段階であまり綺麗では無かった。Windows95が登場したのはこの年だったが、JCRB細胞バンクではまだ1年ほど Windows3.1 のままを使い続けていた。

このグラフでは若干見難いが、1995年当時のアクセス件数は月間百件程度だったが、その後、徐々に増加してきた。恐らく、この増加はコンピュータやネットワークの普及に依存しているのであろう。