「対がん十か年総合戦略」のエピソード

(財)がん研究振興財団発行
「かに」誌98年第25号より

北川定謙


大変いかめしいネーミングで進められた大事業であった。それは我が国のがん研究推進の上で大きな影響があっただけではなく、厚生省所管の科学技術の推進、更には健康に関する研究のその後の発展を大きく推進させるモメントになったという意味(この発展の延長線の上に、厚生科学会議が実現)でも重要なプログラムであった。その、そもそもの契機、プログラムの進行については、柳田邦男氏の「がん回廊の炎」(講談社)に詳細に記されているので、ここでは、その周辺の話題を御紹介しておくことにしたい。

この事業は既に良く知られている通り、当時の中曽根総理の直接の御指示で始められたのではあるが、厚生省としては、これからの科学技術行政の推進の課題として、「ライフサイエンス及びバイオテクノロジーの進歩をどのように取り入れていくか、ということで検討が進められていたところで、まさに待っていましたというところであった。総理の御指示は

    ①がん発生のメカニズムの解明

    ②国際協力

    ③官民一体の取り組み

の3点を基本にしてはどうかということであった。

この官民一体の取組みということが、この事業の推進の大きな特長であった。関係者としては大変な苦労事ではあったが、国民的理解を得る上では大変有効なプログラムであった。

国は研究の主戦場を維持するための経費即ち研究費を分担する。研究体制をサポートする各種事業は民間資金の応援を得て進めようというものであった。

この後者の機能を果す組織として財団法人を作るという考え方が論議されたのであるが、国立がんセンターに関連して、(財)がん研究振興会があったところから、類似のものを二つ作るのではなく、これを全面改組して、強力な研究支援機能を整えるという案で発進したのであった。

理事長山本正淑氏に御説明に上ったのが、医務局総務課長の古川貞二郎氏(現内閣官房副長官)と私であった。しかし、民間の資金協力を得るというようなことは容易なことではないというところで、最初は強い難色を示されたのであるが、厚生省としては省を挙げて努力することで最終的にはOKが出て、具体的な作業段階に入ってからは氏御自ら財界関係者を説得して廻っていただくことになったのである。

富士銀行の岩佐凱実、経団連の花村仁八郎氏も関係者であった為、全体計画はほぼ順調にとりまとめられたのであるが、いざ、お金を集めるとなると横並び論が大きな壁となって、関係者は各財界のトップと実務レベルの方々への説得に大変な苦労を重ねた。結局、保健文化賞の関係で厚生行政に大変御理解のあった第一生命の西尾社長(当時)の御協力で生命保険協会がドッブを切って下さったのが契機になって、募金活動はいっきに進展をみるところとなった。

これを契機に自転車振興会、船舶振興会、宝くじ協会などの団体からも協力を得て、がん研究支援事業は大きく発展するところとなった。

このような大プロジェクトを進める上で、国の予算は毎年確実に確保されるという点で大きな力を持っているのではあるが、予算執行の上からは、どうしても臨機応変というわけに行かないし、また、定員管理が厳しいところから、国際的な研究交流を柔軟に進めるとか、流動的な若手研究者の参画を得るとか、研究の周辺業務を担当する人の確保ができるかとか、様々な障害を乗りこえる上で民間組織である財団は有効に機能された。

民活方式を取り入れることで特筆しておきたいことが一つある。それは、いわゆる、細胞バンク遺伝子バンクという機能を作ることであった。今日でこそ、これらの機能が研究の発展を支える重要な機能であることは容易に理解されるのであるが、当時は、伸々このような研究支援的な地味な仕事を引き受けてくれる研究者も少なく、必要な経費も調達することが困難であった。船舶振興会は大変理解を示してくれて、十年聞にわたって、大型の費用負担を続けて下さった。

当時アメリカでは半ば商業べ-ス的にこの種の事業体が機能しており、世界の研究者、あるいは企業を相手に材料を供給していたのには驚かされた。口を開けば、アメリカでは、欧米ではという論調にやや抵抗感を抱くものの一人ではあったが、この対がん戦略で、アメリカNIHのがんセンター(NCI)と接触協議する機会を重ねるにつれて、その研究体制の規模の大きいことには唯、敬服するの外なかったことを思い出すのである。

今日、行政と民間との関係が厳しくとりざたされているが、当時は、日本のがん研究体制を何とか立派なものにしたいという気持ちで一はいであった。又、研究を効果的に推進するためには、お金さえあればよいというものではなく、フレキシブルな組織体制と支援機能が不可欠であると知ったのであった。

今日、官民の関係が必ずしも素直に受け入れられない社会の風潮があるが、特定の個人に左右されない中立的民間機能が極めて重要であり、この対がん十か年プログラムは、試行錯誤的ではあったが、体系性と流動性の機能がうまく働くことができたのではないかと思っている。

(きたがわさだよし・埼玉県衛生部参事、元厚生省保健医療局長)