高岡 聰子
それらの培地は今日使われている培地の源流で、理論的にアミノ酸組成を処方したもの、古典的培地として使われていた血清+鶏胚抽出液の分析値が基本になっているもの、細菌培地を参考にしたものなどとそれぞれに特徴があります。DM培地の特徴は、1950年代後半に使われていたNBC製ラクトアルブミン水解物の分析値から出発しています。(Y.Kagawa,H.Katsuta,Japan.J.Exp.Med.,1960)
その後、勝田研究室樹立の細胞系を使って、なるべく多種類の細胞系を無蛋白無脂質で増殖させることを目標に実験を重ねました。アミノ酸要求、ビタミン要求、浸透圧、pH、糖代謝、微量成分などについて調べ、処方としては現在まで200あまりになります。その中で細胞培養維持培地として使われてきた処方は、DM-12,-120,-145,-160,-201です。アミノ酸組成についてのそれらの変遷をみると、DM-145まではアスパラギンを除く19種類ですが、-160以後はアスパラギンも含めて20種類が処方されています。それは実験に使ったラット肝臓由来の系の中にアスパラギン要求性のものが見つかったからでした。
ビタミンについては、DM-145まではWaymouthに準じ、-160からは経験的に決定した独自の処方に切り替えています。塩類溶液についてみると、DM-12,-120,-145はGey(1949)の処方を参考にしたので浸透圧が300とやや高く、DM-160以後はEarleの処方に従い浸透圧はほぼ280です。DM-201の特徴はハム博士の論文を参考にして、硫酸第一鉄、硫酸銅、硫酸亜鉛、亜セレン酸ナトリウムを加えました。またピルビン酸ナトリウム、ウリジンが添加されています。すべての培養細胞の要求を満たす理想的な培地にはまだまだ程遠いと思いますが、現在私の手元にある16種のP3細胞系を維持できる無蛋白培地としての最終処方は「DM-201」です。(高岡聰子、苛酷な培養環境に生きる細胞たち、組織培養・18、1992)
DM培地の名前は伝染病研究所のDと培地(media)のMをとって命名されました。1998年現在、DM-201の市販品はありませんが、和光純薬工業株式会社で特注品として扱っています。製造しているのは日本製薬工業株式会社です。
この実験では、グルコース培地DM-160+FBSでは老化死滅し、ガラクトース・ピルビン酸培地DM-170+FBSでのみ無限増殖系が樹立されました。そして樹立当時の細胞はピルビン酸要求性でしたが、ほぼ3カ月でその要求性は失われました。樹立細胞の染色体は変異しており、ハムスターチークポーチに腫瘤を形成することも確認されています。この実験には後続実験が無く、培養内で何事が起こったのかは今もってわかっていません。
血清を必要としないP3系を使って、細胞の代謝を調べた実験があります。細胞培養の培地の糖分はグルコースがほとんどですが、グルコース培地ではATP産生に依存する増殖が維持され、ガラクトース・ピルビン酸培地の増殖はTCA回路に依存していることが、電子伝達系阻害剤アンチマイシン添加実験の結果から推察されました。生体での細胞に比べると、グルコースに頼る培養内の細胞ではTCA回路が活用されていないと思われます。またグルコース培地からガラクトース・ピルビン酸培地に切り替えて長期間増殖させたサル腎臓由来の系では、細胞内のリン脂質とコレステロールは1.6倍、脂質結合シアル酸は3倍に増加していました(T.Kawaguchi,T.Takaoka et al.ECR,1988)。
しかしグルコース培地からガラクトース・ピルビン酸培地に切り替えた多くの系では、形態的変化や増殖率の変化は認められないのに、染色体数が増加していることが確認されています(JTC-12・P3、MDBK・P3、RLC-10・P3など)。また、主に神経腫瘍(TGW・P3、GOTO・P3)や脳由来の細胞系(RCR-1・P3)は、ガラクトース・ピルビン酸培地では短期間の増殖も維持できませんでした。
これらは,培地組成が培養細胞に及ぼす影響の一側面ですが、既製の培地を使う場合も、何培地であるか(MEMかDMEMかRPMI1640かといった)だけでなく、その培地組成についても注意を払う必要があることを示しているのではないでしょうか。