1960年代以後急速に、哺乳動物組織からの細胞培養が実験手段として使われるようになり、技術も進歩しましたが、培地は先人の経験をそのまま踏襲してきているようです。培養に使う血清は、細胞と同種がよいと考えられていた事もありました。例えばHeLa細胞にしてもヒト血清を、それも血液型は0型を使いなさいと言われていました。しかし、経験を積むにつれて、マウス由来細胞の中には同系マウスの血清で増殖阻害を起こすこものがありましたし、HeLaはウシ血清で十分増殖することもわかってきました。そしてウシ胎児血清が主に使われるようになり、ウマ血清は特殊な培養細胞にのみ使われているというのが現状でしょう。では培養細胞は何故に血清を必要とするのか・・については、研究する人たちも多く、その成果として増殖因子が発見され、無血清培地が処方されました。しかし依然として多くの培養細胞はウシ胎児血清を必要としています。
勝田研究室で血漿培地から血清培地へと発展したのは 1950年代後半からでした。そのころの伝染病研究所には採血部があり、伝票を出せば馬や牛の血清が入手できました。最初に問題が起こったのはアール先生から L929 細胞が送られてきたときでした。鶏胚組織抽出液 10%:馬血清 40%:塩類溶液 50%の液体培地は問題なく作れたのですが、自家製の培地で L929 は育ちませんでした。アール先生に問い合わせてわかったことは、NIHでは組織培養のために飼料を厳重に吟味して飼育した馬から採血した血清を使っているとのことでした。負けることの嫌いな勝田先生が同志を募って、伝研でも組織培養用の良馬を購入して採血することになり、しばらくは上々の成績でした。ところが、我も我もとその良馬の血清を使ったものですから、良馬はたちまち貧血馬になり使いものにならなくなったという苦い経験がありました。さらに、培養内での自然悪性化に悩んでおられたアール研究室では、馬は馬でも、種馬、去勢馬、雌、雄、妊娠馬から採取した血清が、培養細胞にどんな影響を与えるかというきめこまかい膨大な実験をしておられたことを知って、その頃の日本ではとても真似ができないことを思い知らされました。
勝田研究室では、培養材料が鶏胚からラット腹水肝癌に変り、腹水肝癌細胞ではウマよりウシが適していることがわかりました。しかも鶏胚組織抽出液を必要とせず、ラクトアルブミン水解物とイーストエキスを添加した簡単な培地にウシ血清を添加すると細胞増殖が起こります。そこでウシ血清から増殖因子を追跡することになりました。そのころ培養細胞は血清中の低分子シスチンやグルタミンを要求すると発表されており(A.Fischer,Biol.Rev.,1947 A.Fischer,J.Nat.Cancer Inst.,1953)、一方、血清蛋白から分劃されたアルブミンやフェトュインに増殖促進作用があることなどが問題を提起していました。
勝田研究室ではラット腹水肝癌を使って血清の増殖因子を調べました。基礎培地は合成培地ではなく、ラクトアルブミン加水分解物・イーストエキス培地でした。まず血清を透析して高分子と低分子を比較すると、明瞭に高分子を要求していることがわかりました。その後、硫安分劃、スターチによる電気泳動分劃、電気透析など試みましたが、増殖因子についてこれという分劃を特定できませんでした。そこでアイソトープをラベルした血清蛋白を使って、ラット腹水肝癌細胞内への取り込みをしらべ、取り込まれていないことを確認しました。勝田先生の結論は、血清蛋白は栄養としてよりも老廃物の処理に働いているのではないかというものでした。第二次大戦中に、治療用の血清が不足して、多くの代用血清が使われたそうです。その中からポリビニールピロリドン、アルギン酸、デキシトランなどを血清蛋白と置換したところ、高分子のポリビニールピロリドンは血清の99%を置換するという画期的な結果を得ました。そのころ、勝田研究室は熱気にあふれていました。ところが、ポリビニールピロリドンの血清置換効果は、他の細胞では必ずしも顕著ではなく、普遍的には培養細胞はなぜ血清を要求するのかの結論が出せませんでした。それらの実験は、同型培養法で増殖曲線を求めていましたから、私は毎日々々山のように多くの試験管を抱えて、試験管中の細胞核数を数え、一喜一憂する毎日でした。そして、定量実験ともなるとその結果についての推計学的判断を求められることが多くなりましたが、病理学出身の勝田先生は数学が不得手らしく、「山田君(山田正篤先生)の所へ行って教えてもらってこい」と言われるのでした。細菌学では「推計学的な取り扱い方」は当たり前のことだったのでしょう、『伝染病研究所・細菌学実習提要』には詳しく検定法が出ていましたが、高等数学を習っていない私に推計学を教えるなどとは、山田先生にとって迷惑千万であったことでしょう。コンピューターも計算機もない時代ですから、ソロバンと計算尺で有意検定をするのも時間がかかる仕事でした。
血清についての結論は出せませんでしたが、その後の勝田研究室では、無蛋白培地で増殖する細胞系を育てることに成功し、実験としては血清と乳離れしてしまいました。
現在も、私の飼っている細胞群は無血清で十分なものがほとんどですが、血清が必要な実験でロットの選別をするときには私なりの実験法を使っています。まず血清濃度は倍々稀釋して良否を決めます。細胞によって血清の善し悪しが異なり、また要求する最終濃度も一定ではないからです。また必要があれば、個々の細胞の倍加時間をしらべるために、映画やビデオの隔時撮影法を使います。細胞数を算定して得られる増殖カーブは、細胞集団の増殖の平均値として数値化されています。映画やビデオ撮影で得られた細胞個々の倍加時間をみると、長期間飼い慣らされ均一であるかのように見える細胞集団でさえも、それらの細胞個々の倍加時間にかなりのバラツキがあり、血清の質や濃度はそのバラツキに大きく影響していることもわかりました。
血清の問題に関わったことによって、動物から培養に移したばかりの初代培養細胞も、長期間培養に馴染んだ培養細胞も実にそれぞれ個性豊かであることを経験から学びました。