【培地のお話】

7:天然物質を含む培地

高岡聡子

 いわゆる古典的な血漿や鶏胚組織抽出液を使った固形培地から、血漿を血清に代えた液体培地へと進展し、次の目標は全組成の明瞭な合成培地でした。その合成培地が一般的に使用されるようになる前に、高分子としては血清成分を使い、アミノ酸源として天然蛋白質(ラクトアルブミンやカゼイン)の加水分解物とビタミン源として酵母エキスを加えた培地が使われました。1960年代、日本組織培養学会で報告された基礎培地には、ラクトアルブミン加水分解物に酵母エキスを加えたLYあるいはYLと呼ばれる培地が多く使われていました。この考えは全く細菌培地から取り入れたものでした。

 ラクトアルブミン・酵母エキス培地がもたらされた時、本当に救われた思いがしたことでした。液体培地ではあっても鶏胚組織浸出液・血清という調整もめんどうな保存の効かない培地でL929を育てることに絶望しかかっていた時でしたから。簡単に作ることができて、しかも沈殿などなく、間違いなく細胞を増殖させることが可能になったのですから、新しい実験への夢が広がりました。

 ラクトアルブミン加水分解物は、牛乳蛋白があれば自家製のものができるのですが、何故かNBC社のものが最高の製品で、ラクトアルブミン加水分解物といえば、NBC社のものを指していたと思います。後にその製品を分析した化学者が、この製品にはビタミンが含まれているが加水分解後に添加したのではないか、といった疑問を投げかけたことさえありました。

 酵母エキスは当初、パン屋さんから生イーストや乾燥イーストを買ってきて、研究室で煮立ててその煮汁を滅菌して使っていましたが、やがて品質を管理された粉末製品が使われるようになりました。

 勝田研究室での培地の探索は、血清に替わる高分子に向けられていましたが、同時に低分子だけで成り立った培地に細胞を駲化させることも進行していました。L929はすでに単独の合成培地で増殖すると発表されていましたが、勝田研究室ではまずラクトアルブミン・酵母エキス培地に、次にラクトアルブミン単独の培地に、L929を駲化させることから始めました。理論的にはラクトアルブミン加水分解物単独ではビタミンはどうなるのかという疑問もありましたが、結果はL929はNBC製であれば単独のラクトアルブミン培地に駲化して増殖を続ける系が樹立されました。そして関連実験としてNBC製ラクトアルブミンはロットによって細胞増殖率に差がみられることを発見し、アミノ酸分析の結果ではグルタミンをはじめとして各アミノ酸濃度にかなりの変動があることがわかりました。その論文が発表されてからは、NBC社は日本向けのラクトアルブミン製品のサンプル試験を勝田研究室に依頼するようになりました(T.Takaoka H.Katsuta et al.,Japan J.Exp.Med.,1960)。

無血清のラクトアルブミン・酵母エキス培地でL929が増殖するようになったので、やっとラクトアルブミン加水分解物のアミノ酸分析ができ、DM培地の基礎ができました。ラクトアルブミンにしてもカゼインにしても加水分解製品には、かなりのペプチドが含まれており、それらのペプチドには増殖を促進するもの抑制するものとありました。当時は、合成培地を目指すためにそれらは切り捨てられましたが、合成培地が日常的に使われるようになってからも、ラクトアルブミン・酵母エキスでよりよく育つ細胞があったことから、ペプチドについてもそれぞれの効用を調べておくべきだったと思われます。バクトペプトンがある種の細胞系で要求され、その有効成分を特定したとの報告もあります(I.Yamaneand O.Murakami, Biochem. Biophys. Res. Comm., 1971)。また酵母エキスについても、栄養要求のはっきりしない培地選択の難しい細胞には使ってみる余地があるかも知れません。現在も、多くの成長因子が発見され、理論的には多くのことが解明されていていながら、なおそれぞれの細胞系にとっての適性な培地が要求されているのではないしょうか。 

参考文献