【培地のお話】

8:アミノ酸

高岡聰子
生体にとって必要な物質が自前で調達できないときは、必須なものとして供給されなくてはなりません。培養細胞の場合は、生体よりも単純で独立した環境の中で生存し増殖することが要求されています。生体で必須とされているアミノ酸の外に、動物生体では置き換えることができるチスチンとメチオニンは、培養細胞ではメチオニンの存在下でもチスチンが要求されることからメチオニン、チスチンとも必須とされました。同様に生体ではフェニールアラニンはたやすくチロシンに変換しますが、培養細胞ではこの変換が起こりにくいことが示され、チロシンも必須アミノ酸に加えられました。また、生体では自前で調達できるのに、多くの培養細胞では高い要求を持つことが示されたグルタミンをも加えた13種が最少限の必須アミノ酸として処方された合成培地がイーグルのMEM培地です。大勢の優秀な研究者グループを擁したイーグル先生の、培養細胞の栄養要求についての膨大な研究があったればこそ、MEM培地が生まれ、その流れを汲む多くの処方が作られてきました。1975年ECRの掲載論文の中、組織培養実験に使われた培地の60%以上が、ダルベッコ改変DMEMを含めたMEM培地であったことを山田正篤先生が指摘しておられます(M.Yamada、Nutritional Requirements of Cultured Cells,1978)。

 1950年代後半、勝田研究室では生まれたばかりのDM培地を実験的に改変してゆく作業が始められました。イーグル先生から届けられる培地に関する膨大な論文を参考に、まずDM培地での最少必須処方を決めることに挑戦しました。DM培地処方の中の一つのアミノ酸を選んで、段階的に濃度を変えて1週間の増殖曲線を求め、そのアミノ酸の要求性を決めてゆく作業でした。イーグル先生はL929とHeLaを使い、透析血清を添加しての実験でしたが、勝田研究室では無蛋白培地系のL929を使いました。勿論、実験に透析血清や他の蛋白は加えませんでした。DM-12から始まってDM-119まで、今から思うと気の遠くなるような実験でした。注意深く要るか要らないかを決め、至適濃度を選んだにもかかわらず、最少限のアミノ酸処方DM-119はL細胞の増殖がDM-12より劣りました。アミノ酸にかかわらず、培地中の成分はそれぞれ相関していて、一つの要素を変えると他の要素に影響することを納得させられた実験でした(H.Katsuta and T.Takaoka,Japan J.Exp.Med.,1960,1961)。

 組織培養培地内でのいわゆる可欠アミノ酸については、1971年にさらに調べました。 MEMと同じ不可欠アミノ酸だけを加えたDM-135と19種のアミノ酸を含むDM-120の比較でした。無蛋白培地DM-120で増殖を続けるL・P3では、DM-135でも増殖はするものの、DM-120には劣りました。透析血清を加えた腹水肝癌やサル腎臓由来細胞系でも同様の結果でした。このことから培地に可欠アミノ酸が加えられれば、細胞はそれを利用して楽に生き続け増殖できることが示唆されました。

 1960年代、合成培地の実験をするためには、アミノ酸やビタミンを揃えることから始めなくてはなりませんでした。アミノ酸ではL型が無くてDL型を使ったものもありました。国内の製薬会社からは入手できなくて、自分の研究のために精製している研究者から分譲してもらうこともありました。勝田先生の命令であちらこちらとアミノ酸を集めて歩いていたころ、「味の素」からアミノ酸のキットが発売されました。20種のアミノ酸が1グラムづつ小さなバイアル瓶に入っていて、クレオンの箱ののようにきれいに並んでいました。最後にはニンヒドリンまでつけられていて、本当に感激したものでした。その後、協和発酵が発酵法でアミノ酸を作り始め、輸入品に比べると驚くほどの安価な製品を揃えることができるようになりました。

 培地組成の一つ一つを検討する実験は、長期間の忍耐と労力が必要です。そしてハム博士のF12培地のように、利用する人々は多くても、F12が成立するまでのハム博士の労苦を思いいたる人は殆どいないことでしょう。

 MEM培地よりさらに極限の培地で細胞の長期間培養を試みた研究者は、安村美博先生でした。 安村先生は血清を加えていないMEM培地を使って、御自分の樹立細胞Veroではグルタミンを除き、ラット肝癌細胞でアルギニンを除いても細胞増殖の維持ができることを発表しておられます(Y.Yasumura et al.,Nutritional Requirements of Cultured Cells,1978)。さらにVero細胞が上皮細胞であることの証しのために、いくつかのLアミノ酸をDアミノ酸に変えて増殖させる実験をこつこつと続けておられました。

 DM培地のアミノ酸量は、他の合成培地に比べるとかなり高濃度です。個々のアミノ酸量を調べた実験以外に、DM-201培地を倍々に稀釋し、透析血清を加えた条件で細胞増殖を調べた実験があります。HeLa、GOTO(ヒト神経腫)、RCR-1(ラット脳アストログリア)は 32倍まで稀釋しても増殖率の低下がみられませんでしたが、LYM-1(ラットリンパ節)は2倍以上薄めると明らかに増殖率低下がみられました。この場合どのアミノ酸濃度が増殖維持にかかわっていたのかはわかりませんが、培養細胞のアミノ酸要求の多様性を示していると思われます。またRCR-1細胞は透析血清添加条件では、アミノ酸はグルタミンのみを添加すれば、6日間増殖が続くことも分かっています。GOTO細胞は同じ条件で、3日間は維持できましたが、6日後には死滅してしまいました。

 培養細胞のアミノ酸要求は、細胞の増殖率からだけでなく、アミノ酸分析機を使って培養後培地のアミノ酸量をはかり、その消長からも知ることができます。1960年に分析したL929細胞のアミノ酸消費量は、意外に少なく培養3日後に50%以上を消費したアミノ酸はありませんでした(Y.Kagawa et al.,Japan.J.Exp.Med.,1960)が、消費量の多かったアミノ酸だけを添加することで培地更新回数を減らすことができました。これはDM培地での分析結果ですから、他の培地を使うと細胞の応答が異なるかも知れません。

 すべてが目まぐるしく過ぎていく現代、生物実験の分野でも「合成培地を作る」ことなどに時間をさいていられないように思いますが、培養細胞の栄養要求の多様性には心すべきではないでしょうか。

参考文献