組織培養が細胞培養へと発展したころから、培地は合成培地に血清を添加して使うことがほぼ常識になりました。そして培養細胞で何を研究するかのそれぞれの目的から、多くの合成培地処方が発表され、改良されてきました。1977年、勝田先生の主催で開催されたシンポジウム“Nutritional Requirements of Mammalian Cells in tissue culture"で山田正篤先生はイーグルのMEM培地について話されました。その中で1975年のExp.Cell Res.5冊分に掲載された論文に出てくる培養培地の数を統計的にまとめておられます。それによると総数184論文の中、イーグル培地(BM,MEM,DMEM)が112と圧倒的に多く使われていて、続いてMcCoyの5Aと7Aが13、HamのF10とF12が11、Medium 199が8、RPMI1640が6、NCTC109と135が3、そしてその他となっていました。
組織培養に使われる合成培地の歴史を探ってみますと、1911年Lewisらが塩類溶液にアミノ酸やポリペプチドを加えた培養液で鶏胚組織培養を試みたことから始まっているようです(黒田行昭、動物組織培養法、共立出版モダンバイオロジーシリーズ、1974年)。その後、初代培養の長期間生存を目的としたものや、筋肉組織の収縮機能の継続をはかったもの、培養内で増殖を続けるL929細胞やHeLa細胞といくつかの癌細胞の増殖を目的としたものなどが発表されましたが、主に山田先生の論文で現在もよく使われている培地の歴史についてまとめてみました。
EagleのMEM培地:
イーグル博士は微生物を使って生化学的な仕事をしてこられた研究者で、生化学分野に培養細胞を持ち込んだ最初の人であろうと山田先生は評しておられます。 日本では基礎培地BMよりもMEMが多く使われています。MEMに到る初期の実験は、L929とHeLaの増殖を指標に、透析血清を加えた条件で、質的にまた量的に、実に理知的に的確に処方を決定されました。そして細胞が要求していなかった物質は極限まで切り捨て、最少必須培養液としてのMEM処方が完成しました。その後、L929やHeLaばかりでなく、初代培養にも他の細胞系にも優れた培養結果が得られることがわかり、さらに増殖率を高めたり分化を誘導したりの目的に従って多くの改良処方が発表されました。しかし、この培地の特徴は最少必須なものだけで成り立っていて、余計なものは含まれていない、そして添加する血清は透析血清で血清の供給する低分子物質も含まれていないということにあります。
McCoyの5Aと7A培地:
1975年のECRではMEMに次いでよく使われていますが、日本の現状ではあまり使われていないのではないでしょうか。1959年の5Aにはバクトペプトンが含まれています。そして、このMcCoyの5Aを基本ににして改変したものの一つがRPMI1640です。
HamのF10とF12:
1977年の培養培地のシンポジウムではハム博士が、その長い長い研究過程を熱を込めて話して下さいました。そしてシンポジウムをまとめて学会出版センターから出版された“Nutritional Requirements of Cultured Cells”にHam's Fシリーズの歴史についての詳細な論文が掲載されています。
ハムの培地の源流はパック博士のN16(1955年)で、パック博士はfeeder layerを使って少数細胞での培養を成功させた人ですから、ハム博士の培地も少数細胞でのコロニー形成率を指標に培地を改良してこられました。F12に続いてハム博士の培地は、微量元素などを加えた無血清培地MCDBシリーズへと発展しています。MCDBシリーズはヒト2倍体繊維芽細胞、鶏胚繊維芽細胞、チャイニーズハムスター卵巣細胞(CHOP)、マウス3T3細胞、マウス神経腫瘍細胞(C1300)、あひる繊維芽細胞とそれぞれについての要求をしらべた上での培地ですから、しらべた細胞の数だけの処方があります。しかし、日本の現在ではMCDB153などが、無血清培地として便宜的に使われているようです。
199培地:
この培地はParkerらによる1950年からの長い歴史をもっています。生物学的に有効と考えられるものすべてを加えて処方されました。簡単な培地を基礎にして、栄養素と思われるものを順次加えていき、培養組織の生存日数が延長すれば有効成分とされました。No.22から81、199と改変され、199培地はワクチン製造のための組織培養に広く使われました。その後、組織片の生存日数を指標として改変された199培地から、L929細胞の増殖を指標に改変されたシリーズが858培地を経て、CMRL(Connaught Medical Research Laboratories)1066、1415として使われています。昔は858培地も使われていたと思うのですが、山田先生の統計によると1975年代858培地には人気が無いようです。
RPMI1640:
次はRPMI1640です。RPMI(Roswell Park Memorial Institute)のシリーズは細胞も含めて番号がついているので、数字に注意が必要です。この培地はMcCoy 5Aから出発しています。始めはWalker carcinoma256細胞の増殖を指標にして改変され、次に血液細胞のために1629、1630、1634と改良が加えられ1640に至っています。現在はヒト白血病細胞の培養によく使われています。他の培地に比べると、カルシウム、マグネシウム量が少なく、リン酸、イノシトールが多いのが特徴で、この特徴が血液系細胞のような浮遊細胞の培養に適しています。
NCTC109と135:
L929の株主であるEarle一門の研究者の成果になる合成培地です。やはり1977年の培養培地のシンポジウムで、一門の長老エバンス先生が発表されました。1950年代に使われていた馬血清と鶏胚組織浸出液の限外濾過物を成分分析した結果が基礎になっています。核酸塩基、脂質などかなり複雑な組成で、ビタミンについてもB群の他にA、C、D、E、Kと豊富に加えられています。
その他にも、器官培養のために処方されたTrowell T8(1959)、培養細胞にはグルタミンとフルクトース2リン酸が必要だと説いたFischer V-614(1948)、glucoseをgalactoseとsodium pyruvateに置き換えることでpHの安定をはかったLeibovitz L-15、マウスの肝臓、膵臓、腎臓の上皮細胞の増殖維持を目標に研究を進めたWaymouthの培地などがあります。ウェマウス先生もまた1977年の培養培地のシンポジウムで講演されています。
参考文献