【培地のお話】

13:植物、昆虫、両性類、魚、貝について

高岡聰子
現在の日本組織培養学会は動物組織培養が主流のようですが、組織培養研究会としての発足当時には、動物も植物も昆虫も貝も仲良く出題していました。ですから、私など学会発表からその分野の問題点を知ったものでした。

植物細胞の培地:植物培養の歴史の始まりは動物培養と殆ど同じころですが、今世紀初頭からの30年間に動物組織培養が急速に発展したのに比べると、植物は少しおくれをとっています。しかし、1998年の今日では植物組織培養の発展は目覚ましく、組織培養法を駆使した新種植物が次々と生み出されています。

 文献でみると、1934年Whiteらが無機塩と糖の培地にビール酵母の抽出液を加えて、トマトの根を培養し、根の性質を失わずに無限増殖させることに成功したのが植物培地の本格的な研究の始まりでしょう。

 植物培養培地の無機塩の組成は、当然のことながら動物とは全く異なります。1957年、植物細胞の映画を勝田研究室で撮影した時(植物細胞の有糸分裂:和田文吾・東大植物、1957)、その培地組成を見て,これは窒素肥料だ,と思ったものでした。現在の日本でよく使われているムラシゲ・スクーグ培地をみても、硝酸アンモニウムと硝酸カリが圧倒的に大量に含まれていますし、アミノ酸はグリシンだけ、ビタミンはニコチン酸、塩酸チアミン、塩酸ピリドキシンだけが加えられています。植物栽培にとって塩は塩害のもとですから植物細胞培養にも添加されていません。糖はショ糖がたっぷり入っています。この無機塩培地に増殖因子として、ココナッツジュースや酵母エキスを加えます。

 培養すると分化機能を失ってしまうことが動物細胞培養の分野で大きな問題であったとき、すでに植物細胞培養では全能性が発表されていました。植物の一個の種が芽を出し根づくのは、一個の動物受精卵が発生の過程を経て成体にまで成長することと同じだといえるでしょうが、植物細胞培養では一個の培養細胞が一つの成体に成長するのです。1974年の日本組織培養学会抄録には「植物培養細胞から個体の形成:古谷力・北里大学」という論文が発表されています。培養した未分化細胞カルスを、オーキシンとサイトカイニンの添加量比を変えることによって、培養内で芽にも根にも分化できるというものです。分化を培地成分で制御できるということは、動物細胞の培養分野からみると、羨ましい限りでした。

    昆虫培地:昆虫培養培地は、哺乳動物と同じように昆虫体液の分析から始まっています。動物と比べると塩化カリウムが多いことが目立ち、糖はグレース培地ではグルコース、フルクトースが使われ、シュナイダー培地はショ糖、トレハロースを用いています。文献によると、昆虫の種類による生理的要求の相違が著しく、また成長の過程に脱皮、変態、休眠といった特異な生理現象に伴う栄養要求も異なるということですから、この分野で培養をするにあたっては培地の選択が重要な課題になっています。

 昆虫細胞でも樹立された無限増殖系では、牛胎児血清を添加したグレース、シュナイダーといった合成培地で安定した増殖が得られています。私の手元で高カリウム培地に駲化させたHeLaK細胞は、血清を加えたシュナイダー培地で数日間生存できました。

 両性類、魚、貝の培地:これらの生物の培養培地は、哺乳動物のものが殆どそのまま使えます。これは哺乳動物とこれらの生物の血清の無機組成がほぼ同じだからです。血清も仔牛血清や牛胎児血清で、特にそれぞれの生物の血清を加える必要は無いようです。MEM、BEM、NCTC109、L15、199培地が首尾よく使われている論文が数多く発表されています。私も「金魚のうろこ」と「あこや貝」の培養を試みました。金魚のうろこは淡水魚であることを考慮して初期には塩濃度を減らしましたが、無限増殖系になってからは、哺乳動物系の培地をそのまま使って増殖が維持できました。あこや貝では、海水の塩濃度に調整したDM-201に血清を添加して、哺乳動物組織と同等の生え出しが観察されました。これらの生物組織に使う培地は哺乳動物での培地が利用できるものの、細菌感染に対しては哺乳動物よりもさらに厳重な注意が必要です。哺乳動物培養に使う抗生物質の質と量では、細菌感染を抑えられない場合が多いことを考慮して作戦を立てるべきでしょう。

 参考文献:IN P.K.Kruse and M.K.Patterson(eds.)Tissue Culture methods and applications(1973)