「殆どの合成培地には糖源として0.1〜0.3%のグルコースが添加されている。グルコース培地の一つの欠点は、細胞の有機酸発酵に伴うpHの急速な低下であり、その欠点を補う目的で、グルコースの代わりにガラクトース・ピルビン酸を添加したライボビッツのL15培地が開発され」、現在も使われているL15培地だけが糖源における変わり種です。
1954年の E.N.Willmer の教科書には「グルコースは培養細胞に広く使われる。培地のグルコース量は、生体内血流での量よりもかなり多く添加する必要がある。またグルコースの要求は培養内酸素の存在や他の培地組成と培養された細胞の状態に関係するので、もし細胞が増殖しないなら酸素とグルコースが無くても細胞は生きていられるし、ある細胞はグルコースが十分に供給されるなら酸素が欠落しても増殖する。その条件下では、エネルギーはグルコースから供給され、乳酸が蓄積する。好気的、嫌気的両方の状態下でフルクトースやマルトースは代謝されるし、好気的条件下で加えた乳酸やパイルベートが使われた証拠もある」と述べられています。
1959年 John Paul は、「一般に培地に使われている炭水化物は、もちろんグルコースであるが、フルクトース、マンノース、トレハロース、ガラクトースなどによって置き換えることもできる。ラクテートとパイルベートも酸素が十分利用できれば細胞のエネルギー要求をみたすだろう。マルトースやサッカライドもそれらを分解する能力のある細胞なら使うことができる。優先的にペントース、キシロース、リボースを利用できる変異細胞種も発表されている。蛋白質融解活性をもつ細胞、アミノ基切断が可能でアミノ酸残基をエネルギー源に使うことのできる細胞は、かなり長時間を糖なしで生存できるだろう」と書かれています。
1962年のイーグル博士の論文“The population dependent requirement by cultured mammalian cells for metabolite which they can synthesize. J.Exp.Med.,116,29”ではアミノ酸や糖を含めて培地組成からみた細胞内代謝が詳しく論じられています。
勝田研究室でのグルコースに関する論文は1958年“On the carbohydrate metabolism of rat ascites hepatoma cells in tissue culture,:Hori M. Katsuta H. and Takaoka T.,”: Japan,J.Exp.Med., 28,259-288,が最初でした。薬学出身の堀誠さんが、たくさんの試験管を並べてグルコースと乳酸の定量に明け暮れておられたことが思い出されます。癌研究の分野では、癌細胞と正常細胞の糖代謝の違いが問題になっていたころでした。この論文では培地内のグルコースがゼロになることなく、自らの代謝産物である乳酸が再利用されていたことが印象的でした。
1970年代以降の糖に関する私たちの研究は、主に血清を加えないで増殖する合成培地継代系の細胞で行っています。血清培地で飼われている細胞を使うときは、血清中の糖源はグルコースですから、他の糖源と比較するためには血清を透析して使わなくてはなりません。透析用のセロファン管に血清を入れて、長時間徹底的に透析し、塩類を調節し、濾過滅菌という過程が必須でした。
その点、無血清合成培地系は簡単に実験にとりかかることができました。そして、マウス皮下由来 L・P3 、ラット肝臓上皮由来 JTC-25・P3、サル腎臓由来 JTC-12・P3 を使って、先人たちの知見を確かめました。どの細胞もマンノース培地はグルコース培地と同様に増殖しました。
ガラクトース培地についてはマウス由来の L・P3 は増殖できませんでした。フルクトース培地は JTC-12・P3 だけグルコース培地と同様の成績が得られましたが、他の2系は濃度依存性で、1mg/ では生存が確認されましたが 0.25mg/ に減量すると死滅してしまいました。
またガラクトース・ピルビン酸培地 DM-200 で長期間継代培養を試みた無血清合成培地系16系の中で、サル腎臓、ヒト肝臓、ヒト子宮癌、ラット肝臓、ラット肝癌、ラットリンパ節などに由来する系は年を越えての継代培養が可能でしたが、ヒト神経腫瘍系とラット脳由来アストログリア系は死滅してしまいました。
ガラクトース・ピルビン酸培地 DM-170 と DM-200 は香川靖雄博士のミトコンドリア脳筋症の研究に活用されています。ミトコンドリアの酸化的リン酸化能の健在な細胞はガラクトース培地で増殖することができますが、ミトコンドリアに欠陥をもつ細胞や、エチジウムブロマイドで実験的にミトコンドリアDNAを完全欠損させた系はDM-170やDM-200では死滅します。
酸化的リン酸化能をもっていれば、大腸菌はコハク酸、酵母ではエタノール・グリセリンで生育が可能だそうですが、私たちの無血清合成培地系は、無糖培地ではピルビン酸、クエン酸、ケトグルタル酸、コハク酸、フマル酸、リンゴ酸、オキサロ酢酸などを添加しても増殖を維持することができませんでした。ただサル腎臓由来のJTC-12・P3は無糖培地で数日間生存が確認できました。
試験管内での細胞の生態には、全く解決できていないことがあります。その一つに1980年に発表した“Establishment of Tissue Culture Cell Strains from Normal Fetal Human Liver and Kidney,:Katsuta H. Takaoka T. and Huh N.,:Japan J.Exp.Med.,125, 205-211 ”でのHuL-1細胞の不死化があります。ガラクトース・ピルビン酸培地で培養されたこの細胞系がなぜ不死化したのか、そして不死化当時はグルコース培地では増殖せず、明らかにピルビン要求細胞系であったことが、今では16ミリの顕微鏡映画に記録されているだけで、何の解決にも至っていません。