高岡先生からの手紙


勝田班当時の研究を振り返って.

    1960年に始まったこの癌研究班も6年目に入りました.ワープロを打ちながらつくづくと思い出しているのですが,発足時は何と若々しく希望にもえている集団であったことでしょうか.

    DABによる増殖誘導,”なぎさ”培養による変異細胞出現にわいた日々,細胞系が樹立され培養条件を設定して行く楽しみ・・・.

    そして誘導された増殖する細胞も”なぎさ”変異細胞も同種同系のもとの動物を腫瘍死させ得ない(これは癌化細胞とは言えない)ことに悩む日々が続きました.

    それだけに佐藤二郎先生の3'-メチル-DAB処理細胞を復元したラットが腫瘍死した時の班をあげての喜び.つづいて,処理しない対照群も又ラットを腫瘍死させる細胞に変異していることを知った時・・.勝田先生はほとんど絶望しておられたようです.月報6512を読むとよくわかります.ここで一区切りのように思います.

    その後班員の構成もかなり変化しながら延々と研究が続けられるわけです.

    このあと,黒木さんの頭の良い4NQO発癌実験の成功がつづき,その後は発癌剤の種類と動物の組み合わせを変えた多くの成功例がありました.初代培養を使ったあるいは3T3を使った試験管内変異検出法として実用化されるまでになりました.

    でも私は,組織培養細胞が正常二倍体を維持して増殖を続けることが出来ないのは何故か,言い換えれば培養内癌化とは何かが今だに不思議です.

    杉村先生の「培養細胞も純系を使うべきだ」という発言の折り,培養細胞の純系とは何かも考えさせられました.一個釣りのクローンであっても染色体を調べてみると一様ではありません.一つの遺伝的形質だけをとりあげるなら純系であっても染色体レベルでは一様ではないのですね.

    培養細胞をペットと割り切って楽しく老後を過ごすつもりでしたのに,最近はがらにも無く物思いにふけっています.

5月2日 高岡聰子