時の法令1648号, 62-69,2001年8月30日発行
民主化の法理=医療の場合 79


余剰凍結受精卵の医療への活用は、非倫理的か

星野一正


●まえがき

    一九七八年にイギリスで、新しい不妊症治療法として開発された「体外受精・胚移植」(IVF・ET)療法を用いて正常女児の誕生に成功して以来、世界の各地で多数の不妊症患者に自分の子供を産んで育てることを可能にし、「体外受精・胚移植」療法は、革命的な生殖医療として、多くの不妊症患者に幸福をもたらしてきたのであった。

    体外受精のためにホルモン療法により過排卵を起こさせた卵巣から機械的に採取した多数の卵子を、体外で、つまりシャーレなどの容器の中で、精子と共に培養すると、幾つかの受精卵が生じる。これが「体外受精卵」である。複数の体外受精卵を子宮内に注入して子宮内膜に着床することを願う方法を、「胚移植」と呼ぶ。

    しかし、一回の「体外受精・胚移植」で出産に至る成功率が最高で三〇%と低かったので、最初のころは、体外受精卵を五個も六個も一度に胚移植したため、多胎妊娠が起こった。そこで、一回の胚移植には、体外受精卵を三個までと考えられ、実施されるようになった。そして、残りの体外受精卵は廃棄しないで、以後の胚移植が必要な場合にも使うべきだと考えられた。そうすれば、数日の入院が必要でお金がかかる過排卵誘発療法はもちろん、成熟卵子の機械的採取や体外受精をさせる操作を繰り返す必要性がなくなり、不妊女性の身体的・精神的並びに経済的負担を削減でき、その後、体外受精が必要になれば簡単に解凍して、再び胚移植が可能になると考えられた。しかし当時、日本では、本問題に対する倫理的な審議がなされていなかった。

    そのため、筆者が委員長をしていた「京都大学医学部医の倫理委員会」に、京都大学の婦人科学産科学教室の森崇英教授から、一九八八年(昭和六三年)一月に「ヒト受精卵の凍結保存と移植の臨床応用」に関する審議の申請が出された。その結果、委員会は、後述するような慎重な調査研究と審議の末に、「条件付きで異議がない」という指針を与えた。

    それから十三年後、今度は、京都大学再生医科学研究所の「ヒト幹細胞に関する倫理委員会」において、筆者は委員長として、「ヒト胚性幹細胞の研究におけるヒト凍結受精卵の活用に関する倫理的検討」という課題を与えられた。

    この問題に関する政府の指針が現在作成中であり、当倫理委員会としてはいまだに審議を開始できない状態である。そこで審議に備えて、委員長の倫理的見解を前もって公表して、社会の方々のご意見を広く求めて、委員会の審議に反映させたいと願っている。

●京都大学医学部医の倫理委員会の当時の対応

    一九八八年のその時に、京都大学医学部の倫理委員会では、ただちに委員会を開催して審議を開始した。当時の委員会の構成は、基礎医学系教授三名と臨床医学系教授三名並びに医学分野以外の学識経験者として、梅原猛氏(当時、国際日本文化センター創設準備室長)、高木健太郎氏(当時、参議院議員・生命倫理研究議員連盟事務局長)、中根千枝氏(当時、東京大学東洋文化研究所教授)及び奥田昌道氏(当時、京都大学法学部教授・現最高裁判所判事)の四名の方からなっていた。

    審議を開始して間もなく、医の倫理委員会は、その下部組織である「生殖医学専門小委員会」という泌尿器科学、婦人科学産科学、先天異常学、農学部畜産学、理学部動物学の権威者からなる組織に、本問題に関する専門的検討と倫理的考察を委嘱した。

    これらの組織において、慎重な審議が行われていた間に、一九八八年四月号の日本産科婦人科学会誌に「凍結受精卵による胚移植の臨床応用」に関する学会見解が発表された。

    医の倫理委員会では、「日本産科婦人科学会の見解に束縛される立場にはない」という見解をもってはいたが、一方、「京都大学医学部医師で学会の会員は、退会しない限り、学会の方針や見解を尊重する道義的義務をもつゆえ、学会の見解に同意できない場合には、その点についての当委員会の意見を学会に提言するべきである」と信じていた。

    同年五月七日付けにて、前出の「生殖医学専門小委員会」から「慎重に審査した結果、何ら付帯条件をつけず、実施計画書に沿って実施してよい」という答申が出された。

    次いで、五月三十一日には政府見解が発表され、「日本産科婦人科学会の見解に基づいて適切に実施されるならば」という条件付きで(凍結受精卵を用いて胚移植することが承認された。学会の見解も政府の見解も、一般公開で多くの国民の自由発言による公聴会を全く開催せずに、非公開の会議で決定され、公表されたものであった。

    これらの見解が出される前から、当委員会では、「公開の席上で、一般市民の方々からのご意見をうかがうべきである」との方針を立てていたので、公聴会を開かずに出された学会並びに政府の見解に基づいて承認するような安易な態度をとらなかった。

    当委員会では、「凍結受精卵による胚移植の臨床応用についてご意見を伺う会」の実施の準備が、資金の工面などの理由で遅れていたが、同年九月三日に京都パークホテルにおいて一般公開で開催した。

    そして、参加者全員に、入場の際に、筆者の文責でまとめた「委員会見解・草案」を配布して、忌憚のない意見を求め、会場での審議中にも自由な発言を求めるだけでなく、「ご意見書」というアンケート用紙を配布して、退場の際に「ご意見箱」に投入していただくことにした。

    十二時三十分に委員長の挨拶と司会で開会し、午後四時三十分まで参加者からの率直なご意見をうかがった。最初に解説講演(一)入谷明教授「動物における凍結受精卵による胚移植の成績」、(二)森崇英教授「ヒト凍結受精卵による脛移植」、(三)奥田昌道教授「諸外国における凍結受精卵による胚移植を含む体外受精・胚移植の倫理的・法的規制の概要」、(四)高木健太郎議員「凍結受精卵による胚移植をめぐる国会の動き」に続いて自由討論会。次いで、「凍結受精卵による胚移植の臨床応用についての指定発言」として、次の四題、「女性の立場・経済面から」竹中恵美子教授(当時、大阪市立大学経済学部長)、「宗教家の立場から」平田晴耕師家(京都嵯峨天龍寺師家)、「哲学・倫理学の見地から」桑木務中央大学名誉教授、「一社会人の立場から」藤田真一教授(元朝日新聞論説委員、当時、帝京大学文学部教授)の発表、参加者全員による自由発言があり、閉会した。

    以上の講演、発表、自由討論などの内容は、雑誌「新医療」の一九八八年十一月号から翌年の二月号まで、毎月掲載され、記録が残されている。それとともに、広く「新医療」の読者からのご意見が委員長あてに書面で寄せられ、大変参考になった。

●凍結受精卵を胚移植に用いる理由

    凍結受精卵を胚移植に用いる理由として、受精卵を一回三個までしか胚移植に使わず凍結保存するので、①多胎妊娠の予防ができる、②胚移植に使われなかった受精卵は、凍結保存しなければ毎回廃棄されて殺されてしまうが、それを防ぐ、③生命体としてのヒト受精卵の尊重と最大限の活用の努力、④体外受精卵形成の際の不妊患者の肉体的、精神的並びに経済的負担の有意義な軽減、⑤一回の採卵で得られた多くの受精卵を複数回に分けてする胚移植による妊娠成功率の有為な上昇、⑥受精卵を適切に凍結保存しておけば受精卵には異常が起こらない、などが挙げられる。

    さらに、②の「胚移植に使われなかった受精卵は、凍結保存しなければ毎回廃棄されて殺されてしまう」の条項についてであるが、当時は次のような問題があった。凍結保存しておいた受精卵をすべて胚移植に使わないうちに、妊娠が成功して出産し、患者夫婦が「廃棄して欲しい」と希望した場合には、患者の自己決定であるので、医師は受精卵を廃棄せざるをえなかった。廃棄するのは非倫理的だから活用するべきであるといっても、その当時、活用する目的が見つからなかったので、いかに人道的に倫理的に、生き残っている凍結受精卵を廃棄するべきかについて苦慮したものであった。

●凍結受精卵の保存期間と残余凍結受精卵の処分に関する京大委員会の見解

    凍結受精卵の保存期間は、卵子を提供した妻が生殖可能期間にあり、被実施者夫婦の婚姻関係ないし内縁関係が継続しており、実施責任者としての管理上にも支障がない場合に限る。当委員会では、法的に研究した結果、内縁関係は「準婚関係」であり、証明可能であることを前述の公開討論会で発表し、更に「新医療」にその法的根拠を掲載した。

    残余凍結受精卵の処分に関しては、婚姻関係ないし内縁関係が消滅した場合、妻が閉経した場合、何らかの理由で生殖可能期間を超えたと判定された場合には、夫婦がともに凍結受精卵の廃棄を申し出た時には、患者夫婦の意思を再確認した上で、凍結保存中の受精卵を解凍し、死亡後に焼却するのが妥当と考えられる。また、管理上万やむをえない処分の必要性が生じた場合には、その事情を夫婦に説明し承諾を得た上で、同様の廃棄処置をとることができるものとする。

●ある女性の思い

    公開討論会の際に、一女性から次のような手記が寄せられた。

    「二十二歳の時に子宮外妊娠をしたので、恐らく自分には体外受精・胚移植以外では子供を授かるのは無理だとあきらめていました。やっと京大で体外受精・胚移植がしてもらえることを知った時、本当にうれしかった。体外受精・胚移植に対して偏見をもっている人がいるが、体外受精・胚移植を受けてまで自分の子供が欲しい私たち不妊症の患者は、藁をもすがるという感じと、自分がやれることはすべてやったという自分への言い聞かせが必要なのであり、自然妊娠が一番良いことは誰よりも強く思っているだけに苦しんでおり、みんな真剣なんです、必死なんです。私のように体外受精・胚移植で子供を授かったことで、人生がこんなにも変わって、こんなにも幸福になれる人間もいるのですから。」

    これほどまでに切実に自分の子供が欲しいという気持ちになったこともなく、そのような気持ちも理解できず、不妊症の人たちの苦しみや辛さを知らない第三者は、男女を問わず、無責任な発言や行動で、不妊症の人たちを苦しめないでいただきたいと、生命倫理の立場からも筆者は、心からお願い申し上げたい。

●廃棄されたヒト凍結受精卵の活用による新しい医療の開発

    患者夫婦が、凍結保存してある受精卵を廃棄して欲しいと要求した場合には、産婦人科の担当医は、その夫婦の凍結受精卵を廃棄しなければならない。これは、患者夫婦の自己決定権に基づく患者の決定であり、医師は、それに従わなければならないという「インフォームド・コンセントの法理」である。その上、日本では、平成十二年二月二十九日の最高裁判決において「患者の自己決定権は、患者の人格権であり、患者の自己決定権を遵守しない医師は、その責任を負わなければならない」(「時の法令」一六一四号六六-七五ページ、著者論文参照)と、断言したことを忘れてはならない。

    それゆえ、ヒト凍結受精卵を使うためには、患者自身が自己決定して廃棄を決めた際に、担当医は、患者に次のように説明して、理解し同意をしていただく努力をする。その説明は、「廃棄した凍結受精卵を焼却せずに解凍し、受精卵を殺さずに培養を始め、子宮内膜着床可能な胚子(embryo)となる以前の段階、すなわち受精卵の胚盤胞(blastmere)の段階まで培養を続けて分化させた時に、胚盤胞内の内部細胞塊(inner cell mass)の細胞群を分離して、特殊細胞として増殖させて『胚性幹細胞(embryonic stem cell):ES細胞』に分化させ、将来の医療の発展のための研究に使わせていただきたい」とすべきであろう。

    ES細胞は、マウスにおいて、一九八一年にイギリスのケンブリッジ大学のエバンスとカウフマンによって発見された。その後、ES細胞を特殊な培養液内で培養すれば、身体を構成している内胚葉、中胚葉、外胚葉由来のすべての細胞や組織を目的的に発生させることが可能であることが証明されている。それゆえES細胞は、一九八一年以来、多能性細胞(pluripotential cell)と呼ばれている。

    たとえば、マウスES細胞から、ドーパミンを分泌する特殊な神経組織を発生させることができるので、もしヒトES細胞からヒトのドーパミン分泌神経組織を発生できれば、パーキンソン病も治療可能になるであろうと期待されている。

    米国では一九九七年に、ウイスコンシン大学のトムソンが「ヒトES細胞」を樹立したことにより、クリントン大統領はES細胞の研究に米国連邦政府の研究費の使用を許可し、急速に研究が進んでいた。しかし、ブッシュ大統領は、これらのことに消極的で、既に樹立した細胞のみに政府資金の使用を認める方針を打ち出したと報じられており、米国の状況は混とんとしてきた。だが、米国では、ヒトのES細胞の研究は、従来から民間資金で発達してきており、進歩が全く停滞することはないであろう。

    「ヒトES細胞」の研究の先進国である米国をはじめ、幾つもの国で「ヒトES細胞」の研究の先人争いをしている。日本政府も「ヒトES細胞」の研究体制を整えているところである。

    日本政府の方針が決定したら、「凍結受精卵提供機関」となる病院の産婦人科は、患者の同意が得られた場合に、その凍結受精卵を「ES細胞樹立機関」に提供することになり、ES細胞樹立機関では、凍結受精卵からES細胞を樹立して、日本国中の「ES細胞研究者」にES細胞を配布することになろう。この制度について、本論文執筆の現在、文部科学省が成文化作業を行っている。

●ヒトES細胞の樹立並びに研究をめぐる生命倫理的問題

    京都大学再生医科学研究所が正式に「ES細胞樹立機関」に指名されたなら、「凍結受精卵提供機関」に指名された病院において患者の自己決定により廃棄された「ヒト凍結受精卵」の提供を受ける。そして、「ヒトES細胞の樹立」の目的で、凍結受精卵を殺すことなく安全に解凍して、特殊培養液の中で培養して確立されたヒトES細胞を育成して、「ES細胞使用機関」に、配分する責任がある。

    この過程で生命倫理的に問題となる点は、ヒトの受精卵からヒトES細胞を樹立してよいかどうかという問題である。

    生命をもっている受精卵を、廃棄して殺してしまうよりも、ヒトES細胞の樹立のために提供して、将来多くの患者の救済に役立つ道が残されていることの説明を受けて、「それならば、活用して欲しい」という患者本人の自己決定に基づいて提供されることになったものであるから、有り難いお志として丁重に活用させていただくのであって、研究者のエゴや無神経のために勝手に受精卵が使われるのとは異質の行為である。

    ES細胞としてなら生き続けられる受精卵の内部細胞塊の細胞も、凍結受精卵が廃棄されてしまえば死んでしまい、その神聖な生命はゴミになるだけで、社会にも人類のためにも何ら貢献することもない惨めな運命に突き落とされるのである。それでは、生命倫理学的にはもちろん、常識的にも、あまりにも可哀想である。

    受精卵は生きているが、まだ胚子にすらなっておらず、もちろん胎児でもない一個の生きている細胞である。ES細胞は、受精卵の内部細胞塊の細胞から生じるのであるが、この段階では、受精卵は形成された最初の段階と外見上は変わらず、胚盤胞の初期状態に変わっていく間に、受精卵を包んでいる透明帯の層が徐々に薄くなり、それにつれて、細胞自身が膨らんで大きさが増し胚盤胞になる。しかし、完成した胚盤胞も、外見上一個の細胞には違いなく、ごく初期の受精卵よりも少し大きい一個の球形の細胞であり、知らない人には、ヒトになることすら想像だにできない状態である。

    その上、自然妊娠の条件下であっても、女性の体内では、多くの受精卵が胚盤胞になるまでに遺伝子異常や卵割異常で死滅したり、胚盤胞となっても着床の前に消えていったり、頻繁に起こる染色体異常などで着床後に早期流産をしたりして、胎児どころか胚子にもなれずに消えていくことが予想外に多いのである。自然界では、このような自然淘汰が行われており、すべての受精卵を保護することは、現在は医学的に不可能なのである。

●むすび

    世界の生殖医療の技術は、一九七八年の体外受精・胚移植の成功以来、画期的な発展を遂げてきた。今や、多くの進歩改良された生殖医療の恩恵を受けている人々は、全世界ではおびただしい数になっている。

    体外受精・胚移植の目的で創られた体外受精卵は、必要以上に多いために、凍結保存して後日必要なときに使うことが常識となっている。元気な子供にも恵まれて、凍結保存してある受精卵が不必要になって廃棄される数も実に多い。それを非倫理的と非難されるのならば、体外受精・胚移植そのものを非難するべきであるが、そのような非難は寡聞にして知らない。

    凍結保存受精卵を廃棄するのは受精卵を殺すことだという認識すら薄らいでいるのは、人命軽視と言うべきなのであろうか。しかし、細胞の命を人命とは言わない。

    ところが、一九九八年の「ヒトES細胞」の樹立の成功によって、最も有望で、新しい医療が開発できる道が開かれ、廃棄され殺される運命にあるヒト凍結保存受精卵が生き続けて貢献できることになったのである。

    しかし、「ヒトES細胞」の誕生のために、ヒトの受精卵を用いることが倫理的に検討されなければならない。

    廃棄され殺される運命にある凍結受精卵を救命し、社会に貢献する道を開くことは、極めて倫理的な行為といえると思われる。それゆえ、患者自身の承諾があれば、胚移植の必要がなくなった凍結受精卵のES細胞の研究への活用は、倫理的に受け入れられると考えるものである。

    もし、これが非倫理的というのなら、凍結受精卵を廃棄して殺すのは倫理的として放置してよいのであろうか。しかし、凍結受精卵を廃棄して殺すことは、世界の多の国々で認められ、長年、ルチーンとして実施され続けている手法であり、今さら、非倫理的と非難できるであろうか。