勝田班「研究連絡月報」の封印を解く

99/02/09
高岡聰子




封印を解くにあたって

文部省癌研究費の助成を受けて、《組織培養内での発癌研究》をテーマに組織培養グループが班研究を開始したのは1960年のことでした。この研究班の一つの特徴は、43才の班長・勝田甫先生を筆頭に、全員が助手か大学院生という若い研究者から成っていたことでした。“癌研究は、もう古典的な研究者に任せておけない。組織培養内で細胞の悪性化をしらべることこそが、癌撲滅を達成する”という若者らしい意気込みで班研究が始められました。

もう一つの特徴として、班研究開始から17年間、毎月班長のもとへ研究報告を提出することが義務づけられ、班長はそれをまとめて《研究連絡月報》を発行しました。また、一年に4、5回の研究連絡会を招集し、研究連絡会号は全員の討論まで記録されました。月報は214号を数え、その中で研究連絡会号は87ありました。

組織培養内での発癌研究、或いは細胞レベルでの悪性転換》というテーマは、当時から世界中で多くの研究者が取り組み、後に多くの癌遺伝子が発見へと発展し、さらに現在では遺伝子レベルの研究へと発展してきていると読み取ることがきるようです。しかし、培養細胞の多様性に悩み続けて、癌撲滅という最終目的に達するには程遠かったことを考えると、勝田班の研究を狭い範囲で見れば結局未完成でした。

しかし、現在このほぼ40年前の若い研究者たちの記録を読むと、未だに解決されていない培養細胞の問題がすでに提起されていることがわかります。そして、今では当たり前に使われている培養技術を開発するまでの苦労も見られます。膨大な研究業績の内、成功したものは論文として発表されていますが、失敗あるいは結論に辿りつけなかったものは人目に触れずにいます。それらのものは、今、細胞培養を始めようとしている人達にも参考になるかも知れません。その思いから、とりあえず質疑応答の付いた研究連絡会号を公開することにしました。

この月報は、6カ月間班員外《秘》となっていますが、最終号が1977年ですからその《秘》は解けています。17年間に班員として名を連ねた研究者はほぼ40人、班員外では 100人近い人達が連絡会に出席していました。この多くの方々に御相談することなく、私の一存で公開することに決めましたことは、御了解いただきたく存じます。

(文中の「かなづかい」と「漢字の当て方」は、研究者によってそれぞれの好みがあるようなので、統一せずに原文のままに致しました).