そして、色々と勉強をしてみたところ、やはり自分が感じた疑問は『世の中でもわかっていないことなんだ』ということがはっきりすると、そこからが研究のスタートということになります。そして、ここからは教科書や論文だけには頼れないことになるのです。
そして、色々な実験を行い、結果を吟味し、考え、結論を出して『疑問が明らかになったと確信を持った時』に『私はこういう未知の問題に答えを出した』と、論文を書いて発表します。
しかし、ここでヨーク考えてみると『私の実験ではこのような結論が得られ、当初の疑問が解明された』と確信しても、それが本当に正しい解答だったかどうか、この段階では客観的には確定していないことに注意してください。科学は、1つの事実についてたった一人の研究者が『これが事実だ』と言っても、それがそのまま正しいとはみなされてはいないのです。
一人の人間の行った実験やその解釈は必ずしも正しいとみなされるとは限りません。まずは疑われると思ったほうが良いでしょう。そして、他の研究者に検証されて正しいか間違っているかを判定されることになるのです。
一人の研究者が発表した実験について、他の研究者も同じ実験をしたら同じ結果が得られたと認められて初めて実験の正しさが確定します。どの研究者がやっても、どこの研究室でやっても、実験条件が一致していれば同じ実験結果が出ると多くの研究者に確認されて始めて実験の正しさが客観的に確定するのです。この点について当研究室の増井が2002年10月の論文に書いた面白い記述があるので紹介します。
実験の再現性が得られたら、実験の正しさは確認されたことになります。ところが、実験結果の再現性が確定したとしても、その『実験結果を解釈』することについては、必ずしも研究者間で同じになるとは限りません。つまり、『この実験結果ならば、このような仕組みがあるはずだ』と言わば仮想的なモデルを作ることが出来ます。そして、そのモデルを元に色々なことを考えると、さらに未解明の問題についての予測が立てられるようになります。
この予測は『予言』と言っても良いかもしれませんが、科学の世界では『仮説』と言ったほうがしっくりきます。1つの実験結果を知った研究者達はそれぞれ勝手な仮説を立てるのですが、どの仮説が正しいのかということを決定するのは、その仮説を検証するための新しい実験なのです。そして、そうした実験結果が積み重ねられた後にどの仮説が最も良く結果を説明できるかを検討して正しい仮説が判定されるのです。
こうして『疑問』−『実験』−『仮説』−『仮説の実証(実験)』を繰り返しながら研究は進められ、新しい事実が明らかになってゆくのです。そしてこの過程で大事なことは自由な発想と客観的な事実を認識する素直な心と言うことでしょうか。
さて、この『疑問』−『実験』−『仮説』−『仮説の実証(検証・実験に基づく)』という研究のサイクルにはどのくらいの時間がかかるでしょうか。
勿論、疑問の内容によってそれは様々です。回答が比較的簡単に得られる疑問から、なかなか回答が得られない疑問まで、疑問の内容にも色々ありますから、それに応じて解決までの道のりも短いものもあれば長いものもあるということになります。
最近微生物による感染症が頻発し私達の生活を脅かす事態が持ち上がっていますが、病気の原因が微生物にあると考えられる場合、ある微生物(細菌)が、ある病気の原因であると断定するには『コッホの4原則』を満たす必要があると考えられています。コッホの4原則とは次のとおりです。
しかし、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の場合は従来、動物実験が成功しなかったため第3、第4則が満たされないと言われてきました。しかし、近年、スナネズミを使った実験で潰瘍形成がヘリコバクター・ピロリ感染後に認められたという報告が複数の研究施設から報告されてきたので、近い将来、第1—第4則全てを満たすと結論されることになるだろうと多くの研究者や医師達は予想しているようです。
さらに、胃癌については必ずしも第1、第2則が成立しないので、ヘリコバクター・ピロリの感染と胃癌との因果関係ははっきりしないとされていました。しかし、1998年、日本人研究者によりスナネズミでヘリコバクター・ピロリを感染させた後に胃癌が発生したと報告されたので、今後の研究の進展が期待されています。
パスツールはこの過程で、腐敗菌が葡萄酒に混入していたことを顕微鏡で確認し、それを培養することに成功したようです。しかし、コッホは、それでは十分な純粋培養では無いという不備を感じたのでしょう。コッホは、原因となる菌を100%純粋に取り出して確認しなければならないと考えたのだと思いますが、そのことは、それを研究している研究者のみならず、他の研究者が否定できないほどに確実に証拠立てなければならないということを意味していたのだと私は思います。そこで、成功したコッホの固形培地による菌の分離法は、個々の菌を完全に純粋にすることを可能にした点で、非常に優れた方法でした。
これにより、菌を完全に純粋にすることが可能になり、その菌の性質を徹底して明らかにできると同時に他の研究者にも提供して、自分が確認したことが間違いないことを確認してもらうことも出来るようになり、疑問を持っているものについては、自分の目で確かめてもらうこともできるようになったのです。パスツールのように液体培養のまま扱っていたのでは完全に純粋な菌の培養とすることができませんから、サンプルを入手した研究者の培養の『方法』や『癖』などによって菌の交代という現象も十分に起こりうることなので、正確で安定した実験を再現することはとても難しいのです。それを解決したのが菌の完全な純化であり、客観的な調査研究を可能にしたのです。
これにより、研究材料を研究者相互で共有するということも可能にしたのです。
ピロリが原因だとわかれば予防法の1つが確定することになりますが、それでもピロリがどうやって癌を起こすのかという点についてはまだまだ研究する意味があると言えるでしょう。
ここで私は、研究というものの難しさということを改めて思い知るのですが、この80年の間に、がんの解明という目標を達成できずに他界した研究者に思いを馳せます。目的を成就できずに他界してしまった研究者は無能だったのでしょうか?
目的を成就するという『成功』のみが評価される社会なら無能と言われても仕方が無いかもしれません。しかし、考えてもみてください、世界中の数多くの研究者が取り組んでも解明出来ない問題、そのほとんどの方々は志半ばにして他界してきたというわけですが、もし成就出来なかったことだけをもって無能というなら、ほとんどの研究者は無能でありました。しかし、世の中にそれを超えた人々は居たのだろうかと問えば、結局がんの解明はこの時代にまで引きずっているという現実を見れば、それは居なかったということを言うより他は無いでしょう。
こうした点よりも、各時代時代の研究者が何をしたのか、『がん』という病気のどの部分を解明したのかということを考えたほうがはるかに有益です。先に紹介した山際博士の人工的ながんの作成も大変大きな意味がありました。それまで、がんの原因が皆目検討もつかないと思われていたのに、タールという物質によって誘導されるものなのだということが明らかにされたわけです。この意味するところはがんの発生にも明らかに物質的原因があるのだという点を指摘したことです。
これにより、がんという病気を実験的に研究できる基盤が形作られたということを意味するのです。
過去の経験を切り捨てて、自分達だけで最初からやろうということになれば、タールで人工的な癌を作るということから始めなければなりませんし、それを過去の経験を知らずに再び最初から考えて試行錯誤するとしたら大変な無駄というものであることは理解して頂けると思います。
このような経験を生かして、それを元に現代の研究を進めるとき、記録されていた事実を理解することは文献を通じて知ることが出来ます。しかし、その事実を再度私達が再現して確認してみようと思ったとき、実はもう1つの要素が必ず必要になります。それは、実験材料の問題なのです。